父が今月18日に亡くなりました。突然死でした。
なんの持病もなかったはずの父がなぜ突然逝ってしまったのか。
残された私たちは父が亡くなった直後、その話ばかりしていました。
今回は前回記事の父の最期に引き続き、父が亡くなるまでの数日間を記録しておきたいと思います。
そのため、コメント欄は今回も閉じさせて頂きます。
死亡診断書の直接死因欄には急性心不全と記載されておりました。
急性心不全の症状を細かく調べると確かに父の最期の症状と一致します。
しかし何がきっかけで急性心不全をまねいたのか。
父は亡くなる数日前の5/12から亡くなる前日の5/17まで大分の実家にいました。
主に法事と身辺整理のためです。母は同行していませんでした。
身辺整理と言っても書類的な事ではなく(それはもう済ませていた)実家の側にある
父の叔母の家の家財道具を処分するといった力仕事でした。
父の叔母は数年前に病気で他界、叔父は戦死。そのためもう何年も空き家になっていました。
空き家と言っても、父が大分へ帰省した時にはいつも叔母の家に寝泊まりしていたので
ある程度メンテナンスはしていたと思います。
その後、土日に法事を済ませ、18日の午前1時半ごろに母の待つ兵庫県の家に帰宅。
父はこの10年間、大分へは車で往復していました。
フェリーを使う時もあったけど、ほとんどは自分の運転のみです。
しかもいつも休憩なしでぶっ通し運転し、片道7時間半かけて行き来していました。
毎度毎度これには周囲も驚かされていました。
トイレ休憩のみの7時間半のぶっ通しの運転。
今回もそうだったようです。
どれだけ運転好きの父でもさすがに疲れないわけがない。
しかも今回の帰省はこれまでと違って力仕事もあり体力的にも疲れていたはず。
母は今回ばかりはそれが心配で帰宅途中「睡眠を取りながら帰って来てね」と、父に言っていたそうです。
父は「一度休むと逆にしんどい」とかなんとか言って結局一睡もせずいつも通りぶっ通しの
運転で夜中帰って来たそうです。
そのままお風呂も入らず就寝。
18日の朝は普通に起きてお昼からは母と車でお買い物に行ったりといつも通りの普通の1日を過ごしたようです。
そしてその日の夜に他界。
普段どれだけ元気そうに見える父でも、やはり75歳には今回の帰省は体力的にも負担があったと思います。
それと急性心不全というからには、元々心疾患があったのではないかと疑っています。
その兆候は私たちは全くわかりませんでしたし、健康診断でも異常はなかったとの事。
実は私と私の叔父(父の弟)は同じ病名の心疾患を抱えています。
今はもう私も叔父も適切な治療を受け普通の生活が送れているのですが
もしかしたら父も同じだったのではないかと今思います。
私も病気が発覚する3ヶ月前に受けた健康診断の心電図やエコーは全くの異常なしでした。
叔父も父も私も低血圧での心疾患。しかも遺伝性の高い病気です。
全く同じ心疾患だったかどうかはもう今となっては分かりませんが、
少なくとも何か心臓に問題を抱えていたんじゃないかな〜 と、私たち遺族は思っています。
そして前日までの無理が心臓に負担をかけたのでは、というのが私たちの考えです。
もしかしたら本人にはなにか自覚症状があったのかも??とも思いますが
こればっかりは本人に聞いてみないと分かりません。
急性心不全。
これはお医者さん曰く、最も痛みを伴わない死だそうです。
しかも父は死ぬ直前までいつもと変わらない穏やかな時間を過ごせていた。
へんな話、私も妹も母もお父さんらしい死に方だな〜と言っています。
一般的に75歳という年齢は早死にとは言わないだろうけど、
父の性格を考えると少し早い死だったと思います。
活発、精力的、溌剌さ、能天気、異常なまでの人懐っこさ、尽きない探究心と好奇心、ボランティア精神、
世話焼き、いざと言う時に発揮するリーダーシップ。。。父の性格ならいつまでも人生を楽しめた事でしょう。
父は亡くなる日の18日、たくさんの友人と話していたそうです。
父と母はマンション住まいなのですが、同じマンションの友人と他愛もない話をしたり
夜8時ごろには退院したばかりの大親友の体を気遣い電話で話をしていたそうです。
その大親友はこれまでの父の話で一番名前が出てきた方で、父が就職してからの長い付き合いでした。
父が倒れる直前まで話をしていたので、父の訃報を連絡した時、しばらく信じてもらえませんでした。
父が大分に帰省した時も、最終日に法事をし、多くの地元や親戚の方々と会っていた事もあり、
皆さん一同に「一昨日会って話したのに。。。」と言いながら全く信じられない様子でした。
その中でも父の弟、私の叔父に病院から父の訃報を連絡した時の事。
「え?⚪︎⚪︎ちゃん(私)のお父さんって事は僕のにいちゃんの事?」と全く信用してもらえず
数分後、折り返しその叔父から「さっきの話、本当なの?」と確認の連絡があったほどです。
叔父は父が亡くなった前日に、叔父の家族みんなで食事をしたようです。
お葬式の時に叔父から貰ったその時の写真には 2015.5.17 と印字されていました。
それと、私と父と叔父は会うとよく冗談ばかり言っていたのでイタズラか何かかと思ったのかも知れません。
そんな感じで父は倒れる直前までいろいろな方と明るく普段通りに接していた事と
いつも元気いっぱいの父の印象から周囲の皆さんは父の死が信じられない様子でした。
お父さんはこの事態をどう見ているんだろう。
父の性格からそれほど悔しい思いはしていないとは思うし、人生でやり残した事はない感じだけど
大分から帰ってきて楽しみにしていた事があったのは知っています。
次回記事にはそこら辺を記載してみようと思う。
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テーマ:生きた証として - ジャンル:ライフ
- 2015/05/24(日) 15:31:19|
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