12/2、おばあちゃんのお葬式に行って来ました。
11月30日 午前8時35分に亡くなりました。享年90歳。母方の祖母です。
死因は老衰。
私事の中の私事なので、記事にするのもどうかなぁ〜と思いましたが、
おばあちゃんの想い出や、ここ数年の私とおばあちゃんの関係の変化を
記録しておきたかったので、記事にしようと決めました。

祖母はとてもオシャレで派手でキレイで、最期まで身だしなみを気にしていました。
何より、いつも会う度に驚かされたのは、肌と髪の毛のキレイさ。
何歳になってもシワや毛穴が全くなく、シミひとつないツルツルの真っ白なお肌。もう奇跡の肌です。
祖母の兄妹はみんな同じ肌をしているのできっと遺伝なのでしょう。
母や叔母と一緒になって「なぜ我々はこれを受け継がなかったんだ!」
と、ブーブー言ったものです。
色が濃過ぎて合わないからと、祖母から貰ったファンデは、私にとっては白過ぎた事がありました。
キレイなシルバーグレーの髪の毛は、1,2年前まではフサフサで、毎晩きちんと巻いてからご就寝。
そんな祖母は、私が物心ついた頃からいつも沢山の薬を飲んでいました。

私が物心ついた時から、祖母と話す時は必ず丁寧語でした。
小学生の頃「これなに?」と言ってしまって「これは何ですか?」と
慌てて言い直した事を覚えています。
なぜ、ずーっとそんな風に話していたのかは自分でも不明です。
誰かに強要されたワケでもない。タメ語で話してしまっても、祖母や周りからも
怒られる事はなかったけど、祖母には気楽に話しかける事が出来ないオーラがありました。
祖母は会社を経営していて、いつも忙しそうにしていたのも
話しかけづらい要因だったのかも知れません。
私の方から話しかける事はほとんどなく、話しかけられた時だけキチンと応える。
私も妹も、祖母とはいつもそんな会話でした。
今思い出すと、私の従兄弟達も、子供ながら祖母には丁寧な言葉で話していました。
なので、どこのご家族も祖母と孫はそういうものだと思っていました。
でも、それは一般的ではないのかも?と思い始めたのは、私が結婚してからです。

祖母はずーっと九州にいて、私の家族はずーっと関西。
会う機会は少なかったけど、いつも私と妹を気にかけてくれてたのは聞いていました。
会えばとても優しくしてくれましたが、マナーにはとても厳しかった。
こんな感じで「一般的なおばあちゃんと孫」という関係とは少し違った数十年でしたが、
ある日を境に「一般的か、それ以上のおばあちゃんと孫」の関係になりました。
それは、今から4年前。
私は心臓の手術をしました。
祖母も、病名こそ全く違うけど、私より数年前に心臓の手術をしていました。
私が退院してすぐ、母を通して祖母と電話で話す機会があり、その時初めて自然とタメ語で
話す事が出来ました。
「出来ました」と言うより「気付けばそうしていた」と言った感じ。
話す内容もお互いの予後や病室からの景色の事、GGの近況、ファッションの事。。。。
年齢の差を全く感じず、友人としゃべる感覚で話が出来、ふたりとも話が尽きませんでした。
同じ手術をした事で、ヘンな仲間意識が芽生えたんだと思います。
それからは、私から直接おばあちゃんの携帯にかけるようになり、
おばあちゃんと孫というより、女子同士の会話でした。

去年夏の終わりに私の実家の猫、アンジの調子が急に悪くなり、母が落ち込んでいたので
祖母とどうやって母を元気づけようかと携帯で話しました。
今思うと、それが最後の会話らしい会話になってしまいました。
それからすぐ、祖母はちょっとした事が原因で入院し、そのまま状態がどんどん悪くなっていきました。
連絡したかったのですが、少ししゃべるだけで疲れやすくなっていると
母から聞いていたので遠慮していました。
今年の9月初め、母が祖母の死を覚悟した時、母と私、妹と姪っ子で祖母に会いに行きました。
もう母や叔母が話しかけても意味不明な事を言うと聞いていたので、
私たち孫を見ても誰か分からないだろうと言われていました。
「そんなの全く気にしない。おばあちゃんが生きているうちに会わなくちゃ後悔する。
自己満足でも良いから会いたい。」
と妹と言って会いに行きました。

病室に入ると、ぺっちゃんこの祖母がベッドに横たわっていました。
いつものゴージャスにセットされた髪の毛ではなく、直毛の髪の毛。初めて見ました。
でも、お肌は全く衰えておらず、相変わらずの奇跡の肌。
メガネがこれまでと変わっていて、真っ赤なフチをした小振りの可愛らしいものをかけていました。
バツグンにおばあちゃんに似合っていました。母と叔母がプレゼントしたそうです。
「おばあちゃん!Y(私)だよ!会いに来たよ!」
「おばあちゃん、M(妹)だよ!」
と寝ている祖母を起こすように妹と二人で話しかけました。
すると祖母はゆっくり目を開け、我々が彼女の視界に入ったのが私にも分かりました。
「Yちゃん。Mちゃん。。。」
と祖母が言った瞬間
「そうだよ!YとMだよ!」
もう嬉しくてたまりませんでした。
「まぁ!遠いところ、よく来たね〜」
と言ってくれました。
完璧に私たちを把握している口調でした。
力はないですが、いつもと同じ、可愛くて優しい声でした。
もう一気に私たちのテンションが上がりました!

おばあちゃんは、自分の子供全員に看取られながら旅立ちました。
危篤状態になってからも最後の最後まで、母と叔母、叔父の声に脳波や心電図が反応していたそうです。
耳は最後まで聞こえていたんだと思います。
おばあちゃん、今までいっぱいありがとう。
そして、本当にお疲れさまでした。
「お母さんはアンジと何回か会った事あるし、今頃また会えてるかな?」と、母が言っていました。
今でも携帯電話で話した時のおばあちゃんのケラケラ楽しそうに笑う声が頭の中ではじけています。
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テーマ:最近の出来事。。 - ジャンル:ライフ
- 2013/12/04(水) 16:22:28|
- 私事
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| コメント:2
ありがとうございます!
私も、祖母は同じ女性として憧れます。
歳を取ってもオシャレを楽しむのはなかなか簡単な事ではないけど、
祖母は最期までやってのけました。
本当に自慢の祖母です^^
私も、祖母はこの記事を読んでる気がします。
いつも私のやる事なす事興味津々でしたから^^
miraiさんはおばあさまを看取られたんですね。
私が後悔したくない!って思ったのは、
アンジの死を経験したからです。
アンジは、会いに行こうと思っていた矢先に旅立ってしまいました。
看取る事さえ出来ませんでした。
どんな姿でも良いから、生きているうちに会いたかった!って
今でも後悔しています。
なので祖母と最後の会話が出来たのも、アンジのお陰です^^
- 2013/12/05(木) 01:09:10 |
- URL |
- miraiさん #-
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とても素敵なおばあさまだったんですね。
会社を経営されて、躾に厳しく、でも優しく、いつも身綺麗なおばあさま、憧れます。
亡くなる前にお話しできて良かったですね。
私も10年前に祖母を看取りましたが、後悔はたくさんあるので、ぐーごーさんの想いが心に響きました。
病気と闘いながらも90歳まで大往生されたんですね!
ぐーごーさんたちに慕われて、きっと天国でこの記事を読みながら微笑んでますよ。
ご冥福をお祈りいたします。
- 2013/12/04(水) 20:44:23 |
- URL |
- mirai #-
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