今日はグーグーの9回目の月命日。
今月は月命日を迎える前から特別な思いがありました。
グーグーがいなくなって9ヶ月か....という思いより
とうとうグーグーの闘病生活が始まってから1年か....という思い。
去年の1月24日、1週間の入院からグーグーの闘病生活が始まりました。
つまり1月24日はグーグー最期の3ヶ月が始まった日。
なので先日24日は様々な思いが駆け巡りました。
「去年の今日からとうとうグーグーの頑張りが始まったんだな。
それが最後の頑張りになるとは24日には想像もしていなかったな」
去年の今日、グーグーはどんな具合だったか。その時私たちはどんな思いでサポートしてたか。
ごろちゃんはどんな表情だったかと、今まで以上に具体的にその時その瞬間を思い起こす事でしょう。
入院初日の面会時、私の姿を見つけた瞬間グーグーは目をキラッキラさせ嬉しそうニャッ!!と、
言いながら私を迎えてくれたな。
あの我慢強くてツンデレなグーグーがまさかあんなにも真っ直ぐ嬉しさを表現するとは思ってなくて
本当は目が合った瞬間、思いっきりギュってしたかったけど点滴中のグーグーの姿を見てそこはグッと我慢したな。
その代わり、一刻も早く家に連れて帰る❗️と、強く思ったのを昨日の事のように思い出す。
2019.1.24 お昼過ぎ。嵐の前の静けさ。この日の夕方から闘病がスタート。

今、改めて3ヶ月を振り返ってみても「グーグーほんっっっっっっっとうによく頑張った」これに尽きる。
生物が健気に懸命に生き抜く様をグーグーが目の前で見せてくれました。見せつけられたという感じ。
闘病中、私たちは「グーグーは今どうしたいのか。何がイヤなのか。グーグーにとって何が幸せなのか」を
何回も確認し合いました。途中、治療で迷った時の指針になるように。
そして行き着く答えはいつも同じ。
「入院前までと変わらない生活が送れるようにする」「グーグーがイヤがる事はしない」この2点でした。
この2点を貫き通すという事は、グーグーの延命を諦めなければならない時がやって来るかもという事。
かばさんと確認し合う度に自分にそう言い聞かせていたのを思い出します。
もちろん私たちの本音は「どんな姿になってもグーグーに生きていて欲しい。そばにいて欲しい」
でも自分たちのその思いが強くなり過ぎて、結果グーグーを苦しめてしまうのを一番恐れていました。
なので闘病中何回もかばさんと話し合って指針を確かめ、覚悟を固めていったのは正解だったと思う。
2009.1.24

指針を決める事。それは安楽死という言葉が初めて身近に感じた時でもありました。
私たちはそれまでいわゆるペットの安楽死には疑問を持っていました。
自死の概念がなく、どんな状況でも毎日その日を生きるために行動している動物にとって安楽死は不自然。
そんな動物の最期を人間が決める権利はないと思っていました。
闘病中、しんどいながらもご飯を少しでも食べ、体調が復調し出すと満足顔で爪とぎをし、
早速パトロールへ向かう姿を見ていると、名前を呼ぶと嬉しそうに走って来てくれるグーグーの姿を
見ていると、グーグーが今闘っているのはこれらのためなんだと、
これらがグーグーの生きる営みの全てなんだとはっきりと確信しました。
と同時に、それがもう叶わないと分かった時、グーグーにとっての「生きる」とはなんだろうと
考えに考えるようになりました。
ましてや激しい痛みだけが伴い快方の見込みがない時、もう意識が戻らない状態で寝たきりになった時、
それを終わらせてあげられる知恵と知識が人間にはある。
安楽死に間違いとか正解とかないんだ。
少なくとも周りがとやかく言う事ではないんだ。
一番辛くて苦しいのはそれを選択せざるを得ない飼い主さんなのだ。
グーグーとの最後の3ヶ月は私たちのそれまでの価値観を180度変えました。
2015.1.24

それでもグーグーがイヤがったにも関わらず、唯一最後までやり続けた事がありました。
それは毎日の皮下輸液。
皮下輸液をやり続けた事は仕方なかったと思っていますが、
私たちのやり方が正解だったかは未だに分かりません。
試行錯誤の末、イヤがるグーグーを拘束しながらの輸液でした。
数分間の事とは言え、最後の最後まで抵抗していたグーグー。
輸液は今思うと、グーグーは3ヶ月がもう限界だったと思う。
闘病中の治療方法で迷った時が2回ありました。(実際は治療じゃなくて緩和ケアだけど)
それは経鼻チューブと最期の抗けいれん剤。
経鼻チューブは決断して大正解でした。あれでグーグーは一気に持ち直しQOLを復活させる事が出来ました。
凄いのは施術中も装着中もイヤがらなかった事。
グーグーは闘病中に限らず、フツウの猫ちゃんなら全力で抵抗しそうな事もじっと我慢してくれるコでした。
穏やかで図太い神経の持ち主だったから、もしかしたら本当に平気だったのかも知れないけど、
その性格は私たちを何回も助けてくれました。先生やトリマーさんにとっても本当に良いコでした。
最期の抗けいれん剤の決断は辛かった。
抗けいれん剤さえ投与したらまた元のグーグーに戻ると思っていました。
それが痙攣は治るがもう寝たきりになる。完全に意識がなくなると聞かされ大きく心が揺らぎました。
それはQOLがゼロになるという意味で、もうグーグーらしく生きられないという事。
しかしグーグーを楽にしてあげるにはもう抗けいれん剤を打つ以外選択肢はありませんでした。
一日中痙攣が続いていたグーグーは既に意識はなく体力も限界でした。
結局、抗けいれん剤投与からその日の輸液を待たずに4時間後に旅立ってしまいました。
あとで思い返すと、この選択は広い意味で安楽死だったように思う。
2013.1.30

グーグーがいなくなって最近思う事。
それはこの2つの選択はグーグーがした選択なんじゃないかなと。
経鼻チューブ装着は「もう少しこの生活を続けたい」と、グーグーが私にそう選択させ
抗けいれん剤は「もう充分頑張った。輸液もう限界」と、私に選択させたような気がする。
闘病中の私たちがしてきた一つ一つの選択に後悔がないのはグーグーがそうさせたからのような気がする。
4時間後のお別れが分かっていたら私はあの時抗けいれん剤投与を決断出来ただろうか。
投与したその日のうちにお別れがやって来てしまうなんて誰も想像していなかったのです。
おそらく先生方でさえも。
なので私は病院から帰宅後、これからのグーグーの介護に備えすぐに猫用のオシメを検索し、
先ずはそれまで試した事のないサプリをネット購入しました。結局使う事はなかったのですが。
フィナーレの仕方はグーグーの意思だった気がしてならない。
そう思う事で自分を納得させようとしているのかも知れないけど。
但し闘病生活に入るまでの私たちの選択には大きな悔いが残ります。
2009.1.30

少し前にTVで「全てを犠牲にして何かに挑んだ経験はあるか」という質問がありました。
私はそれを聞いてTVの前で「ある」と、静かに即答。
それはグーグーとの3ヶ月の闘病生活。
「ベストを尽くした」ではなく全てを犠牲にして挑んだ3ヶ月でした。
あの3ヶ月間はかばさんも私もよく頑張った。
そしてごろちゃんがいてくれて良かった。私たちにとってもグーグーにとっても。
大変な事もあったけどしんどいと感じた事は一度もなかったな。
一生忘れない3ヶ月間。グーグーと過ごした12年間は私の一番の宝物です。
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テーマ:猫のいる生活 - ジャンル:ペット
- 2020/01/30(木) 15:26:44|
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