昨日はグーグー没後1ヶ月でした。初めての月命日。
あの悲痛な日から一ヶ月。
平成最後の日は私のこれまでの人生で一番ショッキングな日となりました。
この一ヶ月は辛くて淋しくて苦しい日々でした。泣かない日はありませんでした。
2010.3.27 お昼。グーグー3歳。猫真っ盛り。4歳くらいまでは瞳の色がカッパーでした。

ペットロスは我慢しないで泣きたい時に泣きたいだけ泣く。ありのままの悲しみを受け止める。
無理に前向きになろうとしない。
深い悲しみや後悔に苛まされながらも自分は今ペットロスなんだと俯瞰で見ている自分もいました。
それは7年前に他界した実家の猫アンジのペットロスを経験したからだと思う。
アンジのおかげでペットロスを悪化させない方法を知った気がする。
あの時も散々涙を流したものの、無理に前向きになろうとして逆にペットロスを長引かせてしまった。
2018.4.8 夕方。グーグーハウスとお気入りのアゴ枕。

グーグーはどう考えても素晴らしい猫でした。私たちにとっては唯一無二の存在。
私にとっては初めて最期の瞬間まで一緒に暮らした猫。かばさんにとっては人生で初めて一緒に暮らした動物でした。
最後に過ごした1週間の入院生活とその後の3ヶ月の闘病生活。それは私たちにとってかけがえのない時間でした。
あれほど自分以外の誰かの事だけを一生懸命考え、自分の寿命を分けたいと本気で思った日々はありませんでした。
全身全霊で臨んだ日々。今思えばとても幸せで充実した時間でした。
2015.5.13 お昼。可愛い後頭部。

グーグーは聡明で真面目。几帳面。キレイ好き。頑固。寛大。媚びない。穏やか。我慢強い。ツンデレ。
慎重。こっそり甘えん坊。凝り性。物静か。物怖じしない。瞬発力より持続力。無口。表情豊か、そんな猫でした。
そんな一見堅物そうなキャラとは裏腹に見た目はまぁるい可愛らしいフォルム。そして豊かな表情。
その見た目とキャラのギャップからか何をしても可笑しくて面白くて可愛くていつも私たちを笑顔にしてくれました。
2018.2.26 グーグー11歳のお誕生日。

2012.4.14 お昼過ぎ。グーグーのムチっとしたお尻とゴージャスな尻尾が大好きでした。

グーグーは母猫のような時が多々ありました。
お風呂後、私やかばさんの濡れた髪の毛を毛づくろいしてくれたり夜かばさんを寝かしつけたり。
闘病中、忘れられない事がありました。
それは2月中旬、グーグー退院後2週間が経つ頃でした。
グーグーの体調が持ち直し、いつものグーグーが帰って来たと私たちが希望を持った頃。
私は風邪気味で日中ソファで横になっている時間がありました。
ふと目覚めると目前にグーグーの顔が。私が目を覚ます前からずーっと見ていてくれていた様でした。
ここぞと言う時だけに見せるグーグーの優しさ。あの時のグーグーの優しい母猫のような眼差しは一生忘れません。
2019.2.15 夕方。ソファで横になるとそっと側に来てくれました。

闘病中忘れられない景色と感覚があと2つあります。
一つはグーグーと会話が出来た感覚。
私の意思がグーグーに伝わっている、グーグーが私の言葉を理解してくれているという手応え。
闘病以前にもなかったわけじゃないですが、手応えがここまであったのは初めてでした。
グーグーは最後の3ヶ月間、ジェットコースターのように体調に波がありました。
絶不調の時が3/5で不調が1/5、好調が1/5といった割合。絶好調の日は全部で1週間ほどしかありませんでした。
絶好調はいつも長く続かず1日か2日。復活した喜びも束の間、すぐまた不調になり
そのまま絶不調まで落ちるという事の繰り返しでした。
そんな絶不調は退院直後と最期を合わせて全部で5回ほどあり、そのうち2回、退院直後と3月末に
「まだもう少しグーグーと一緒にいたいねん。だからもう少し頑張って、お願い」
と、横になって休んでいるグーグーの目を見ながら涙ながらに訴えた事がありました。
その時の私の目を見つめるグーグーの目。私の言っている事が確実に伝わっている、グーグーが聞いてくれている
という目でした。それは今までにない感覚でした。
その後、どんどんグーグーの体調は良くなり絶好調になるまで頑張ってくれました。
2014.6.21 夜。あの時、ちょうどこんな感じの眼差しで私の話を聞いてくれていました。

あと一つは最後の徘徊中の出来事。
意識障害で家中をずんずん徘徊し始めた頃、グーグーに私とかばさんが「グーグー グーグー」と、名前を呼ぶと
私に一回、かばさんに一回反応してくれました。
私が名前を呼びながらしゃがんで両手を伸ばした瞬間、意識障害の険しい表情からいつもの可愛らしい表情に戻り
私の腕の中に真っ直ぐ駆け込んで来てくれました。あれが最後の意思疎通でした。
この3つの光景は死ぬまで忘れないでしょう。
2007.8.28 夜。生後半年。我が家に迎えてちょうど2ヶ月。物怖じしないキャラはチビッコの時から。

2010.7.10 夕方。友人宅の猫ちゃんを一日預かり。その猫ちゃんの動向をいつでも逃げられる態勢で観察。

グーグーはほんっっっっっっっとうによく頑張ってくれました。
最後の20時間は残りの命の炎を一気に燃やし平成最後の日に合わせるかのように力尽きていきました。
その様は壮絶で忘れられない光景だったので他に出来る事があったんじゃないかと
この1ヶ月何回も考えてみましたがいつもあの時は鎮痛剤を打つ以外他に選択肢はなかったという結論に達します。
最期の選択肢はグーグーに上手く誘導されたような気がしてなりません。
グーグーとは12年間一緒に過ごしてきたけど、最後の3ヶ月間に彼女のそれまでの全てが凝縮されていた気がします。
グーグーらしい見事なフィナーレでした。
2014.9.1 未明。暑い夜はひんやりした場所で寝る。

グーグーが本当はどうしたいか、何が嫌か、どこが痛いかだけを考えて過ごした3ヶ月。
私たちはそれに全力で答える事が出来たと今は思う。
毎日の輸液は嫌だったと思うけどあれだけは心を鬼にして完遂させて頂きました。
最期の日は輸液タイムの前に旅立ったからやっぱり嫌だったんだろうな。
2010.2.18 夜中。私がPCをしているといつもリターンキーの上を枕にしていました。困ったもんです。

3ヶ月ってグーグーが旅立った直後は短い闘病生活だったと思っていたけど、人生で換算すると1年。
1年間の闘病生活。1年間毎日保定袋で拘束されて針を背中に刺され
前半は無理やり流動食を口から入れられ後半は鼻からチューブを入れられ.....。
平気な顔して過ごしていても我慢強いグーグーの事だから嫌だった事もあったと思う。ごめんね。ホントごめん。
2011.4.6 夕方。お昼寝前の入念な毛づくろい。

グーグーの凄いところを挙げるとキリがないけど、みんなのお誕生日や主なイベントを一通り
迎えた後旅立った事は凄い事だと昨日かばさんと話したところです。
既に腎臓に異変があったであろう去年11月のかばさんのお誕生日。クリスマスと年末。
平成最後のお正月。猫の日。自身の誕生日。私の誕生日。ごろちゃんのお誕生日。そして平成最後の日。
逆の半年間なら私たちにとって重要なイベントは皆無でした。
私たちにグーグーとの思い出を増やしてくれてグーグーありがとね。
2013.3.17 夕方。トリミングルームでセルフシャンプー。

最期の日も見事でした。
かばさんが仕事から帰るのが2時間遅れ、夜8時5分くらいに帰宅したのですが、その15分後に旅立ったのです。
飼い主の帰宅を待って猫ちゃんが旅立ったというのはよく聞く話だったけど、私たちにもそれが起こりました。
実際自分が経験すると偶然とは思えませんでした。かばさんを待って全員に看取られながらの旅立ちでした。
その日の夕方病院で打った鎮痛剤の効果が切れる前でした。
2011.4.16 お昼過ぎ。早過ぎたライオンカット。寒いだろうと取り敢えずTシャツを着て頂く。

私はこの4ヶ月で白髪がだいぶ増えました。
この白髪はグーグーと共に頑張った証なので鏡で見る度にグーグーを側に感じる事が出来、温かい気持ちになります。
グーグーが旅立って1週間は最期の20時間や3ヶ月の闘病生活の事ばかり考え苦しい毎日でした。
1週間が過ぎた頃には闘病以前の11年間の元気で平穏な毎日を過ごすグーグーの写真を見る事が出来たのですが
今度はそんなグーグーを見て、なぜ病気を早期発見出来なかったのかと悔やんで泣くばかり。
時間が経つにつれ、つい先月までの闘病生活すら遠い昔の事に感じ始めた自分の気持ちに気付き、
グーグーが遠くへ行ってしまう感覚への焦りと淋しさに耐えられませんでした。
それが昨日の月命日、たまたま余命宣告されたある猫の最期の2ヶ月を描いた漫画を読んで大号泣し、
読み終わった後はそれまでの暗くて悲しい気持ちに明るい光が射し始めたのが自分でも分かりました。
その漫画を読むまでは淋しくてどうしようもない気持ちだったのに...自分でも不思議な感覚でした。
2016.4.6 夜。ふわふわグーグー。

グーグー、あれから一ヶ月が経ったね。
この一ヶ月全ての事をグーグーに結びつけてはグーグーの仕草を思い出してため息ばかりついてたけど
昨日を境に今は清々しい気持ちで心の底から素直に言える事があるわ。
グーグー、12年間楽しい時間をありがとう!!!可愛い思い出をいっぱいありがとう!!!
そして最後の充実した3ヶ月をありがとう!!
もうグーグーには感謝の気持ちしかないわ。
グーグーって最後までホント可愛かったよね!!クセになる可愛さだよね!
グーグーがいたから外出も習い事も家事も日常の全ての事が楽しめたんだね!グーグーって偉大だわ。
それとグーグーのおかげで少しだけ花を愛でる心が芽生えたよ。
今まで花に全く無関心だったのにグーグーのお骨の周りを綺麗な花で一杯にしたくて
お花屋さんをよく覗くようになったよ。
まだため息もつくしこれからも時々泣く事もあるだろうけどそれはまぁしょうがないよね。
私たちはグーグーが居なくなって淋しいけどグーグーも淋しいんじゃない?
そんな時はごろちゃんにだけでも会ってあげて〜。凄く淋しそうだから。もしかして既に時々会ってるのかな?
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- 2019/05/31(金) 23:08:29|
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グーグーが旅立って10日が経ちました。早い。
荼毘に付すまでの3日間はグーグー最後の20時間の事ばかり考え、グーグーがよくいた場所に
グーグーの姿を思い浮かべては泣いてばかりいましたが、火葬場で骨になったグーグーの姿を見た瞬間
不思議と気持ちが少しずつ落ち着き始めていくのが自分でも分かりました。
それからは闘病生活中のグーグーの姿を遡りながら振り返る事が出来るようになり、
没後1週間経つ頃には元気な頃のグーグーの動画や写真を見れるようになりました。
グーグーが亡くなった事実は受け入れられるようになってきましたが
グーグーがいない淋しさは時間が経つごとにどんどん深まるばかり。
小さな謎のぬいぐるみはグーグーが仔猫の時(我が家に来る前)のお友達。

淋しいのはごろちゃんも全く同じ。見ていて辛い時もあります。
荼毘に付すまでの3日間は、グーグーの亡骸に顔を近づけては宙を見つめを繰り返し
その後そっとグーグーの側で横になるごろちゃんを2回見ました。
目の前にいるグーグーはもう生きていないと視覚ではなく動物的感覚で理解していた様子でしたが
私たちがグーグーの亡骸にグーグーと名前を呼びながら話しかけたり、
朝目覚めた時に「グーグーおはよー!」と、呼んでみたり、これまでと変わらない態度を取るもんだから
ごろちゃんは「え?グーグーいるの?」と、困惑した3日間だったと思う。
グーグーがお骨になって帰って来てからはグーグーを探すごろちゃんの姿がよく見られました。
私たちはごろちゃんのストレスをなるべく減らすためにこれまで以上に一緒に遊んだり
話しかけたりしているのですが、それとグーグーの姿がない事は別の様です。
グーグーが最後の3ヶ月間よくいたAの部屋は覗いてはみるものの入ったのはグーグー亡き後1度きり。
空っぽになったグーグーのお皿を見ては黙って私をじーっと見上げてきます。
グーグー生前からグーグーのカリカリも食べていた食いしん坊のごろちゃん。
グーグーのお皿が空になると「空っぽだよ〜」と、ニャーニャー言いながらアピールしていましたが
今はちょっと様子が違います。静かに私を見上げてきます。
2019.5.5 空っぽのままのグーグーのお皿に寄り添う。

「グーグーがもうどこにもいない事を理解している最中だな」と、ごろちゃんの様子を見て感じた時がありました。
それは5/3に日付が変わった頃、次の日にグーグーを斎場へ連れて行く準備が終わった1時間後くらいに
ごろちゃんがリビングで玄関の方を見ながら箱座りしている時でした。
そこは廊下から玄関まで真っ直ぐ見渡せる場所。
我が家にはリビングから玄関まで真っ直ぐ伸びた廊下があります。
その廊下には全ての部屋の入り口が面しているのでリビングから廊下を見渡すと人の動きが一目瞭然。
グーグーもよくこの場所に座って私とかばさん、ごろちゃんの動きをチェックしていました。
ごろちゃんはこの時廊下の先をじーっと見つめていました。
寝ている時以外はじっとしている事が少ないごろちゃんなので珍しく思い、私はごろちゃんの真横に寝転がり
ごろちゃんの横顔を30cmくらいの距離から見つめていました。
すると頭をいろんな方向へゆっくりゆっくりグルグル動かし始めたので何かと思い、
ごろちゃんの目線を追うとその先にはリビングの天井や壁、床、空間。
リビングをくまなく見渡した後はまた玄関先に目をやる。しばらくするとまたリビングを見渡す。
最初はどこかに虫か何かがいるのかと思ったけどごろちゃんのゆっくりと落ち着いた動きを見ると
そうではないのは明確でした。
このごろちゃんの行動は5分くらい続いたのですが、私は途中で「もしかしてグーグーが亡くなった事に
今気付いている最中?」と、感じたので声はかけず静観。
この間、ごろちゃんは一度も私と目を合わさず集中している様子でした。
2019.5.6 グーグー遺骨に挨拶しているのかと思いきやただブーケに付いたリボンと遊んでいるだけ。

グーグーの姿が見えなくなってからごろちゃんの行動にもいくつか変化が見られました。
一つは更におしゃべりになった事。
これは私よりかばさんの方がそう感じているようです。
私たちを見上げて強い口調でニャーンニャーンと訴えてきては、ごろちゃんも淋しいよね...と、
私は思うのですがかばさんはそう受け取っていないようです。
「ねぇねぇ〜 グーグーいないよ〜!探してよー!」と、言っているように感じるとか。
そう言われるとそうかも。ごろちゃんの天真爛漫な性格からしてそっちの方がしっくりくる。
もう一つは部分的な毛づくろいが多くなった事。これは明らか。
シャンプー後など特別な時以外、ごろちゃんが毛づくろいしているのを11年間見た事がない。
トイレの後もしないし、日向ぼっこ中もしない。ブラッシングは全て私たちにお任せ。
それがふとした時に胸や腕を高速で毛づくろいする姿が多く見られるようになりました。ストレスなのかな。
5/5の夜中、リビングにあるダンボールの中でク〜ンク〜ンとイビキをかいて爆睡していたごろちゃん。
なんか嫌な予感がしてしばらくの間遠目から見ていると、急にガバッと起き上がったと思ったら
ダンボールから飛び出して廊下を全速力で走っていく事がありました。
すぐ追いかけて「大丈夫大丈夫。大丈夫だよごろちゃん」と、体を優しく撫でながら声をかけたのですが
心ここに在らずといった表情。今度は逆方向へまた急に走り出してしまいました。
そこでハッと我に返った表情になりいつものごろちゃんに。きっと何か夢を見て飛び起きたのでしょう。
2019.4.24 夜。同じタイミングでお水を飲むGG。

グーグーとごろちゃんの間にはいくつかルールがあったようです。
朝目覚めた時、私が「グーグーおはよー!」と、ベッドで言うと首輪の鈴の音を鳴らしながら
ダッシュでベッドに迎えに来てくれていたグーグー。
この時ごろちゃんも遅れてやってくるのですが決して部屋の中には入ってきません。
部屋の入り口で大人しく待機。
グーグーと散々イチャイチャした後、私とグーグーが部屋から一緒に出て行こうとすると
入り口にいるごろちゃんが待ってましたと言わんばかりにグーグーに襲い掛かります。
襲いかかると言っても意地悪をしているのではなく嬉しくて抱きついている感じでした。
グーグーは必死で逃げようとするのですが酷い時は取っ組み合いながら床を転げ回るGGをよく見ました。
それを止める私とかばさん。ここまでが毎朝の様式美。グーグー闘病中もほとんど毎朝実施されていました。
私たちが半日くらい留守にした時はGG揃って玄関まで走って迎えに来てくれました。
長過ぎたり短過ぎる留守は全く迎えに来てくれません。
きっと長過ぎると呆れられ、短過ぎるとGGが一休みしている間に帰って来たといった感じだったのでしょう。
「グーグー ごろちゃんただいまー!」と言いながら玄関ドアを開けた瞬間GGが尻尾を立てながら
嬉しそうに走ってくる姿を見るのは本当に幸せでした。帰宅するのが楽しみでした。
グーグーは私たちの足元までちゃんと走って来てくれていたのですが、ごろちゃんは廊下の途中まで。
途中で急ブレーキをかけリビングへ小走りで引き返すのです。
この2つだけはGGの間でグーグー優先のルールだったんだと思います。
それ以外はごろちゃんの好き放題やりたい放題でした。
もうこの2つのルールは無くなってしまいました。
私は毎朝「ごろちゃんおはよー!」と言い、帰宅時には「ごろちゃんただいまー!」と言っています。
反応はしてくれるものの、先ずは周りを見渡してグーグーが現れるのを待ちます。
現れないと判断するとゆっくりと迎えに来てくれます。まだまだ慣れない様子。
2019.5.7夕方。グーグーハウスに入ってみる。毛づくろいもしてみる。


5/7夕方、リビングでグーグーの事を思い出していると「グーグー。グーちゃ〜ん。グッグーちゃーん」と、
思わず呼んでしまいました。グーグー生前に呼ぶ時と同じ声のトーンで。
隣で寝転びながらリラックスしていたごろちゃんは即その声に反応。上体を起こし周りをキョロキョロ。
その姿を見た瞬間、しまった!と思い「ごろちゃん、もうグーグーいないのよ。ごめんね」と、撫でながら
話しかけても聞く耳は持ってくれず目をキラキラさせながらグーグーの姿を探すごろちゃん。
しばらくして諦めたのか今度はグーグーハウスをクンクン嗅ぎ出し、中に入っては隅から隅まで余す事なくクンクン。
その姿を見て「ごろちゃんはいいなぁ。グーグーの匂いを嗅ぐ事が出来て」と思いながら見守る。
私たち人間には分からないグーグーの匂いがこの部屋にはまだあちこちにあるんだろうなぁと。
グーグーハウスの匂いを散々嗅ぎ終わったら今度は全身の毛づくろいが始まりました。
先ほど記載した通り、シャンプー後以外はごろちゃんは全身の毛づくろいをしません。
ごろちゃんと暮らして11年。この時初めてごろちゃんの全身毛づくろいを見ました。
ストレスからではなく優しくゆったりとした丁寧な毛づくろいでした。
この時以降、「グーグー」と名前を呼ぶのはごろちゃんの見ていない時にそっと小声でするようにしました。
2019.5.8 お昼。ハンモックで日向ぼっこ。

5/8のお昼、そ〜っとハンモックに乗るごろちゃんの姿を見ました。
そのハンモックは今年4/12のごろちゃんへのお誕生日プレゼントだったのですが
気に入ったのはグーグーの方で使用していたのもグーグー。ごろちゃんは見向きもしなかったアイテムでした。
もしかしたらごろちゃんも興味があったけどグーグーに譲っていたのかも知れません。
そのハンモックを一昨日初めてごろちゃんが使ってくれました。
2019.5.10 本日夕方。お昼寝からお目覚め。最近お気に入りのダンボール。

グーグー亡き後のこれらのごろちゃんの言動にどういう意味があるのか、何か意味があるのかは私たちには
本当のところは分かりません。
が、ふとした時の淋しさや何か物足りなさを感じているのは確かです。
私たちもそうだけど、ごろちゃんもグーグーがいるのが当たり前でした。
グーグーが他の部屋にいてもごろちゃんが走り出すとひょこっと顔を覗かせて気にかけてくれたり、
気分が乗れば一緒に走ってくれるグーグーの存在があったからこそ自分らしい生活を送る事が出来たごろちゃん。
今は何をしても反応してくれるグーグーがいなくて寂しさと物足りなさを感じている様子です。
もちろんその役割を今は私たちがしているのですがやはり猫同士とは違います。
2019.5.10 先ほど。

ごろちゃんは最後までグーグーに片思いのままでした。
グーグーだって決してごろちゃんの事が嫌いだったんじゃなくてしつこくされるのがイヤなだけだったんだと思う。
ここ4,5年はグーグーの方からごろちゃんに鼻チューするのをよく見たし。
でもごろちゃんはグーグーともっとイチャイチャしたかったんだろうな。毛づくろいし合ったりとか。
私たちが思っている以上にGGには同種同士ならではの絆があったんだと思う。
今はまだグーグーの姿を探したりグーグーとのルールを守ろうとする姿が見られるけど徐々に減ってきています。
グーグーの存在をいちいち気にしながら行動するごろちゃんの姿を見るのは辛いので早く忘れて欲しいんだけど
ごろちゃんの記憶の中からグーグーが消えて行くのは寂しいな。
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- 2019/05/10(金) 23:54:36|
- ごろちゃん
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昨日お昼過ぎにグーグーは荼毘に付しました。
生前骨太に見えたグーグーは実際骨太でしたが、小さくて可愛い前歯と牙は肉付きがなくなると大きく見えました。
火葬前々日、骨壷のサイズを3.5寸か4寸で迷ったのでグーグーの頭のサイズを測ると
ギリギリ3.5で入る大きさでしたが余裕を持って4寸にしたおかげでお骨を砕かずに
全てそのまま入れる事が出来ました。
実際のグーグーの頭の骨のカタチは細長くてカッコ良かったのには驚きました。
まさにネコ科動物のカタチで、生前の丸くて横長のカタチをした可愛らしいグーグーのイメージとは
かけ離れたフォルムでした。
尻尾の可愛らしい小さな骨1個と前歯1個をカプセルに入れ残りのお骨は全て骨壷へ。
カプセルには亡くなった直後にカットさせてもらったフワフワなお腹の毛と火葬当日朝にカットさせてもらった
ツメも一緒に入れています。
2019.4.19 夕方。

斎場へ出発する前、最後にグーグーゆかりの場所へお別れしてもらいました。
グーグーにとって一番のゆかりの場所、それは我が家です。
リラックスしている時によく爆睡していた『ソファのど真ん中とリビングのど真ん中』
最後までパトロールした『ベランダと室外機の上』
退院後、よくお水を飲みに行っていた『バスルーム』
腎不全罹患後一番長くいた場所、グーグーが英気を養っていた場所『Aの部屋のグーグー定位置』
”グーグー寝るよ”のかばさんの掛け声で毎晩かばさんを寝かしつけに行った『かばさんのベッドの上』
旅立つ前日に新たに見つけたお気に入りの場所『かばさんの部屋のクローゼットの中』
”グーグーおはよー!”の私の挨拶に亡くなる前日の朝まで迎えに来てくれていた『私のベッドの上』
私が洗濯物を干している時、いつも窓越しに見守ってくれていた『私の部屋の窓の側』
そして相性は良くもなく悪くもなかったけど決して嫌いではなかった我が家で唯一の同種族『ごろちゃん』
私たちが出かける時のグーグーお見送りの場所『下駄箱の下』
グーグー退院後に気まぐれに購入し、お気にりだった『玄関マットの上』
亡くなる数日前に少しだけお散歩した『玄関ドアの前』
このグーグーゆかりの各場所にかばさんがグーグーを連れて行きました。
2019.5.3 11時10分。グーグーごろちゃんのお別れの挨拶。

それともう一ヶ所ゆかりのある場所、最後の97日間大変お世話になったかかりつけの病院。
グーグーにとっては嫌いな場所だったかも知れないけどお返しするアイテムもあるので斎場へ行く前に寄りました。
19回の通院と7日間の入院でした。5日弱に一度の通院だったという事です。
通院するごとに「一週間後にまた様子を見せに来て下さい」と、先生に言われていたのですが毎回その前に
調子を崩し病院へ連れて行っていた事になります。でも私の印象はそれ以上でした。3日に一回は通院していた印象。
病院や外出をイヤがらなかったグーグーだから出来た事だと思います。
もしかしたらガマンしていたのかも知れないけど。
2019.4.19夕方。爪とぎの後の気合の入った表情。

グーグーが力尽きた20分後に鼻チューブを取ってもらおうと病院へ電話するも診療時間外のため繋がらず。
結局かばさんが取ったのですが思っていた以上に長いチューブがグーグーの体内から出てきて驚きました。
次の日、グーグーが前日夜に旅立った事を先生に伝えると少し驚いた声でしたが優しくお声を掛けて下さり
私は声を震わせながらグーグーの最期の様子を伝えしました。
残った輸液2パック、針、ライン、結局使わなかった未開封の摘便時の麻酔ジェルと2個の座薬、予備の2本の鎮痛剤、
医療廃棄物、それと病院で使って頂けたらと未開封のリキッドと加圧バッグを紙袋に入れグーグーと一緒に病院へ。
グーグーを後部座席に残し、車のクーラーをつけたままで11時半ごろ病院へ入りました。
2019.5.2 夜。グーグーに斎場へ連れて行くベッドへ移ってもらっている最中。


病院では診察室に呼ばれ、お世話になった院長先生、入院中グーグーを可愛がって下さったT先生、
そしてかばさんと私の4人でしっかりとお話しする事が出来ました。
そして最後の20時間、グーグーに何が起こっていたのか院長先生がお話しして下さいました。
グーグー最後の診断です。
病院で抗てんかん剤を打つまでの16時間、グーグーが一睡もせずに休む事なく歩き続けたのは
広い意味での痙攣だったという診断。
自分の意思で歩き続けたのではなく、体内に充満した老廃物の影響で脳への神経系統がおかしくなり、
無意識に歩き続けたという診断でした。
その間グーグーには意識はなく、抗てんかん剤を打ってからも意識はなかったので最後の20時間は
苦しくはなかったはずだとおっしゃっていました。
それと左腎臓が機能しなくなった時点での右腎臓は既に残り少なかったのでしょうというお話でした。
腎不全ステージ2は残りの腎臓が30%と言われています。
それは左右合わせて30%。もしかしたらグーグーは左腎臓が25%で右が5%とかだったのかも知れません。
この2つのお話を聞いて少しだけ楽になりました。ほんの少しだけだけど。
あの最後の徘徊中のグーグーの表情が忘れられません。12年間で初めて見る殺気迫る気迫の表情。
徘徊するグーグーを見てもう意識がない事はその表情と動きを見て分かっていましたが
先生からそう言われると少しだけ胸のつかえが取れた気がしました。
しんどくて苦しくてあの表情になったんじゃない、脳神経が壊れてあの表情になったんだと、
もうあの時は意識はなかったんだと。
それでもグーグーの徘徊中の顔を思い出すと今はまだ苦しくて苦しくて仕方ありません。
先生方から、グーちゃんは本当によく頑張ったと何回も言って頂き、T先生が頷きながら涙を流すと
こちらもつられて泣きそうになったのでこれまでグーグーが大変お世話になった事への深い感謝の気持ちと、
これからはごろちゃんがお世話になりますと笑顔でお願いして病院を後にしました。
今泣くと止まらなくなるので。
2019.4.22 夜。お気に入りの玄関マットの上。

お葬式では「末期の水(まつごのみず)」という儀式がありました。
式場の方の説明では、口元をお花で濡らしてあげて水を飲ませてあげるという意味があるそうです。
私もどこかで聞いた事のある儀式でしたが実際自分がしてあげるのは初めてでした。
ピンクの菊科のお花にお水を浸しグーグーの口元を濡らしていると横でかばさんが「手も濡らせてあげて。
グーグーは手でお水を飲んでたから」と囁くので、そうだったなぁと思い出しながら
可愛くて丸い手先にたっぷりとお水をかけてあげました。
亡くなった後も変わらず手でお水を飲んでいるグーグーの姿を想像したらもう微笑まし過ぎて.....。
下記、グーグーが安らかに眠る姿が2枚続けてあります。苦手な方は高速スクロールお願い致します。
2019.5.3 ただ眠っているよう。死して尚可愛いグーグー。被毛もフワフワ。


グーグーがいないのが信じられません。
亡くなったのは理解しているんだけど家にいないのが信じられない。
矛盾しているけど今はまだそんな感じです。
亡骸といえども昨日朝まで我が家にいたグーグーの体。
その数時間後には骨壷に入って帰って来、グーグー感はすっかりなくなってしまいました。
撫でてもフワフワ感はなく骨壷カバーのザラザラした感触。グーグー淋しいよ。
まだ全然さよならが言える気持ちにはなれません。
でも私にはその淋しさや懐かしさを存分に語り合えるかばさんという相手がいます。
一番淋しいのはごろちゃんです。普段から甘えん坊のごろちゃんなのできっと今ストレスを抱えている。
なんとか癒してあげたいとなるべく今は側にいて思いっきり甘えてもらっています。
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- 2019/05/04(土) 23:52:57|
- グーグー腎不全闘病記
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2019年4月30日 平成最後の日 午後8時20分 グーグーが旅立ちました。
急性腎不全で1週間の入院。退院した1月30日からちょうど3ヶ月後でした。
今の私の気持ちはただひたすら「グーグーほんっっっっっとによく頑張ってくれたね」と
「私たちにグーグーと過ごす最後3ヶ月間を与えてくれてありがとう」この2つです。
2019.4.27夕方。グーグー定位置から窓の外を眺める。失明判明12時間後。明るい時間帯は時々見えていたと思う。

グーグーの最後20時間は壮絶でした。
30日 0時30分の輸液終了直後に少しの脱糞。そのまま家中の徘徊が始まりました。
途中5,6回のてんかん発作を繰り返しながら夕方3時半の病院到着まで15時間ぶっ続けの徘徊。
病院で夕方4時ごろ抗てんかん剤を打ってもらうとようやく動きが止まり昏睡状態のまま力尽きました。
29日夕方と夜に各20分間の徘徊があったのでまた結石の痛みが出始めたのかと思い鎮痛剤を打ったのですが
緩和されていたのか今となっては分かりません。でも少し落ち着いたように見えました。
最後の徘徊は様子がそれまでとは全く違いました。顔がグーグーじゃなくなっていました。鬼の形相。
完全な意識障害でした。
最初のうちは血圧が上がったのかと思い、セミントラを投薬。効き目があるとは思っていなかったけど
私たちにはこの時それしか出来る事がありませんでした。
輸液終了と同時に凄い気迫でひたすら前に突き進むグーグー。
輸液前まではフラフラした力無い歩行だったのに最後の徘徊は逆に足取りは力強く真っ直ぐ前方向のみの歩行。
障害物があっても避けない。バックも無し。猪突猛進。
グーグー!グーグー!と、何回声をかけても無反応で突き進む。壊れたオモチャのように。
狭くて到底通れない場所も突き進んで行く。普段のグーグーなら避けて通る場所も。
挟まって身動きが取れないのに突き進もうとする。体が千切れそうになっても。
2019.4.29 夜中3時半ごろ。見えていない様子だけど私がホカペの上で寛いでいると横にそっと来てくれました。

グーグーの進む方向に先回りしてかばさんと障害物を移動させたり隙間という隙間を
クッションで塞いでいたのですが家中くまなく突き進むのでキリがなく
2時ごろに私の部屋に移動させ行動範囲を狭めることに。
私の部屋にある隙間を全てクッションや箱などで塞いだ後グーグーを抱いて連れて行きドアを締め切りました。
7畳ほどの狭い空間をひたすら歩き続けるグーグー。そしてそれをひたすら見守る私とかばさん。
ごろちゃんは外です。
その間、何回もグーグー!と、名前を呼び続けました。途中、目があったと思った瞬間があったので
グーグー!と、呼びかけるとグーグーの表情がパッと戻って伸ばした私の腕の方へ真っ直ぐ突き進んで来てくれました。
かばさんと「戻った!戻ったよね?!」と、確認し合うも数秒後にはまた元に戻ったように見えました。
それでも私たちには少し光が見えたように思え「今の内にお風呂入って来たら?」と言う
かばさんの言葉で私は急いでお風呂へ。
2019.4.27夕方5時半頃。グーグー定位置。定期的な鎮痛剤が効いたのか久しぶりに足を伸ばしてリラックスする姿。


お風呂から上がってその間のグーグーの様子をかばさんに聞くと
「さっきまた呼びかけたら来てくれたよ。その時顔も戻ってた」と、嬉しい返答。
でも結局はそれがグーグーと私たちの最後のコミュニケーションとなってしまいました。3時ごろです。
徘徊するグーグーをひたすら目で追っているとなぜかごろちゃんの姿が視界に。
完全に締め切っていないドアを押していつの間にか入ってきていたようです。
ごろちゃんはグーグーと逆方向で室内のパトロールを開始。
途中グーグーとすれ違う時はグーグーに鼻チューしたり優しく体を擦り付ける仕草が。
2,3分したところでドアを開けるとそのまま静かに出て行きました。
かばさんはその日朝から仕事があったので取り敢えず自分の部屋で寝てもらいその後は私がグーグーを見る事に。
目の前でどんどん体力が削られていくグーグーを見て耐えられなくなりベッドに抱き上げ横にすると
壁と毛布に頭を突っ込んだまま3分ほど動きが停止。安心したのも束の間、今度は30秒ほどのてんかん発作。
発作が終わったと思ったら今度は横になったまま歩き続ける仕草。4時過ぎの事でした。
5時半ごろ再び床に降ろしてみるともう体力もなく床に這ってでも前進する姿が。
5時45分にまた発作が起きるももうそれはてんかん発作ではなく意識障害からくる痙攣でした。
6時ごろラグマットに粗相した後はそのまま停止して箱座り。そして6時15分にまた痙攣。
それが終わるとまたベッドに抱き上げ横にする。そのまま歩く仕草....。
そのまま私が30分くらいウトウトしてしまっている間にかばさんが起きてきて毎朝の日課、
リキッドとセミントラとお水をグーグーの鼻チューブから入れてくれていました。
休み無しのぶっ続けの徘徊と数回の発作でもう歩く体力がないグーグー。
疲れ果て、床にうつ伏せになって停止する姿が多くなり少し安心して私はそのまま寝てしまいました。
2019.4.30 0時半。生前最後の体重測定。この後の輸液直後から意識障害に。

事前に状況を電話で伝えてから午後診で病院へ。
病院への車内道中も痙攣が起き、治った後呼びかけるも無反応。
診察台に乗せると先生がグーグーの左右瞳孔に光を当てながら「でも瞳孔は反応がありますね」と。
そうこうしているうちに診察台でも痙攣が起こり、先生は背中を撫でながら「グーちゃん大丈夫だよ。
グーちゃん大丈夫だよ」と優しく話しかけ、私はグーグーの顔の高さにしゃがみ顔周りを撫でながら
「グーグー グーグー」と話しかけました。目は完全に合っていました。そのうち痙攣が治ると
「もう毒素が脳まで回っていますね。これは発作ではなく痙攣です」と、先生。
グーグーの進行具合でのてんかん発作と痙攣の違いは分かっていました。
痙攣はもう最期が近いときに起こる症状です。
「これ以上しんどい思いをさせるのが可哀想で....」と、私が言うと「そうですね」と、先生は言った後
選択肢を2つ提案されました。
「抗てんかん剤を打ってお家で輸液するか、お預かりして静脈から点滴するか。お預かりすると
そのまま病院で亡くなる可能性があります」と。
しばらく考えました。静脈点滴の方が即効性があって持ち直す可能性がある。でも病院で最期を迎える可能性が高い。
もうそんなに長くはないなら慣れ親しんだ家で最期を迎えさせてあげたい。せっかく頑張って退院したんだから。
「抗てんかん剤を打つとどうなりますか?ご飯は?トイレは?もう自分の意思で何も出来なくなるんですか?」と
聞くと「はい、もう寝たきりになります。自分では何も出来ません」という答えでした。
もうグーグーらしい生活が出来なくなる。もうベランダパトロールもカーテンガジガジも何もかも出来なくなる...。
それでも最期は確実に家で迎えさせてあげたい。かばさんと私、ごろちゃんに看取られながら旅立って欲しいと
強く思い、抗てんかん剤を打ってもらいました。
抗てんかん剤は大体8時間効果が持続。次に徘徊や発作が起きた時にはこの座薬を入れてあげて下さいと
座薬の説明を受けていると次第に抗てんかん剤が効き出し、あっという間にグーグーは昏睡状態に。
力が抜けきって手足がぶら〜んとなったグーグーを抱きかかえキャリーに入れ診察室を出ようとした時
涙がどっと溢れ出してしまいました。この3ヶ月、病院では一度も泣いた事はなく弱音も吐いた事はなかった
のですが今回なぜか嗚咽してしまいました。
恥ずかしくて先生と看護師さんに背を向けると「グーちゃんすっごい頑張ってますよ。凄い頑張ってますよ」と
先生が優しく背後で言って下さったのですが無言で頷く事しか出来ませんでした。
その後、先生方は落ち着くまで診察室にいて下さいと私に気を遣って下さりティッシュ箱を診察台に置いて
私とグーグー二人きりにして下さいました。
落ち着いた頃、看護師さんが診察室でお会計して下さったおかげで他の患者さんと顔を合わす事なく
そのまま帰宅する事が出来ました。
2019.4.30 0時2分。グーグー最後のかばさん腕枕。この後30分経たないうちに意識障害に。

帰宅後すぐにグーグーのベッドを用意し寝かせました。
もう目は半開きで名前を呼んでも無反応。耳も目もビクとも動きません。
動いているのは呼吸によるわき腹の上下運動のみ。
午後4時に抗てんかん剤を打ったので夜中0時までに切れる可能性を考えていました。
するとかばさんから「18時過ぎには帰るわ」とのLINEが。
グーグー定位置のクッションを敷いたベッドに横たわるグーグーを見て一番に考えたのは
被毛を綺麗にしてあげようという事。
グーグーはブラッシングが苦手だけど今なら出来るとブラッシングスプレーを持って来てブラッシングすると
フワフワに。そのフワフワの被毛に顔を埋めるとグーグーの匂いがして凄く幸せな気分になりました。
そのあとは、数回の発作と粗相で汚れているお口周りとお尻周りも綺麗に拭いてあげました。
午後6時過ぎにかばさんから「19時過ぎに帰るわ」と再度LINEが。
午後8時前、グーグーの手がゆっくりゆっくりと動き始めまた歩くような動作が。
もう座薬を入れる時間?抗てんかん剤からまだ4時間しか経っていないのに。
座薬の準備をしかけた時、その動きはゆっくりと静止。5秒ほどの動きでした。
これがグーグー最後の動作となりました。
病院から帰宅してからはグーグーに話しかけ、撫でられるのが好きだった鼻先からおでこを撫で、
グーグーの写真や脇腹の動きの動画を撮り、とにかくグーグーから目を離さないようにしていました。
19時過ぎに「そろそろ帰るけど何か買い物して帰ろうか」とかばさんからLINEが。
私はおうどんをお願いしました。
今思えば呑気な会話です。でもこの時はまだグーグーがまさか新年号初日を前に逝ってしまうなんて
思ってもいなかったのです。
2019.4.30 病院帰宅後直後。何度かグーグーのニオイを嗅ぎに来たごろちゃん。

2019.4.30 帰宅1時間後。ブラッシング直後。

午後8時2分。私がまたグーグーの動画を撮影しているとかばさんが帰って来ました。
すぐにグーグーのそばに駆けつけたかばさんに診察内容と座薬の説明をし終わった時
脇腹の上下運動が止まったように見えたので「え?呼吸してる?」と私が言うとまた上下運動が始まりました。
手を握るとフワフワの柔らかい毛とムチムチの可愛らしい手先の感触は変わらないのですが体温は冷たく
「グーグー!」と呼びかけてもやはり無反応のまま。
その数秒後、後ろ足をピーンと伸ばし手を少し動かす仕草が見られたのでこれが最期の瞬間なのかと思ったけど
また歩き出すのかとも思い座薬の準備をし始めようとした時、グーグーの瞳が変化していくのが分かりました。
半開きだった目は大きく開き、瞳孔が大きくなり瞳の表面にシワが見られた瞬間、アンジの亡くなった後の
瞳と同じだと感じました。
そしてゆっくりと脇腹の動きが止まり、もう帰って来ないと分かっていながらもグーグー!と二人で呼び続けました。
明日13:30に荼毘に付します。
今回はグーグーの最期の日を、最期のグーグー20時間の頑張りをなるべく叙事的に書き留めたくて記事にしました。
私たちの気持ちの部分を含めた記事はまた後日。
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