昨日、ごろちゃんが発作を起こしたと思う。
昨日私とかばさんは午前11時あたりから午後11時あたりまで留守にしていました。
その間に起きた発作。
不在だったから確かじゃないけど99%起こしたと思う。
帰宅して玄関ドアを開けるや否や「グーグー、ごろちゃんただいまー!!」と、元気良く私が言うと
グーグーが「にゃにゃっ!!」と、珍しく大声を出しながら玄関まで猛ダッシュで駆け寄って来た。
ごろちゃんは少しボーッとした表情でベッドルームからノソノソと出てきたものの
なんとなく襟巻きが濡れているような。。。。
襟巻き付近を凝視してみると、濡れていたけど乾いたって感じの毛束がいくつかある。
もしかして発作起こした?まさかね。。。
前回発作(5/9)から1ヶ月も経っていないし。。。。
そのままGGは並走しながらリビングへ走って行き、私もごろちゃんを追いかけるようにリビングへ。
シャワー後、毛づくろい中のごろちゃん。
私達の不在中にごろちゃんが発作を起こしたと確信を持ったのは、グーグーのごろちゃんへの威嚇でした。
ごろちゃんがグーグーより少し遅れてリビングへ到着。
振り返ったグーグーはごろちゃんを見るなり激しく威嚇。
そのグーグーを見た瞬間、ごろちゃんやっぱり発作起こしたんだ!と確信。
すぐに「ごろちゃん多分留守中に発作起こしたと思う」と、かばさんに報告。
かばさんもビックリしてごろちゃんの様子を見に来ました。
よーく見るとお尻付近の被毛も濡れた跡が。。。
襟巻きの左半分に濡れた跡があるから左半身を下にして発作を起こしたんだと思う。
ちなみに、発作後のごろちゃんへのグーグーの威嚇はいつもと少し違います。
いつもは一発だけだけど、発作後は熱心に何回もする。本気で火を噴くんじゃないかという勢い。
昨日は発作後、ずーっとごろちゃんはグーグーに威嚇されてたんだろうなぁ。
ごろちゃんかわいそうに。。。
ごろちゃんはグーグーに威嚇されてもし返す事は一切ない。
いつもしょぼーん、もしくはキョトンとした表情だけ。
もしかしたら威嚇するタイミングがわかってないのかも。
1度だけ見た事のあるごろちゃんの威嚇対象はキッチンの引き出しだったし。
シャワー後のごろちゃん。
「発作場所はオレの部屋だわ」と、かばさんが言ってきたので見に行くと
前回発作と同じ場所、かばさんの部屋の端っこにだけ異常な量の毛束が落ちていた。
ヨダレと失禁で被毛が濡れた状態で発作を起こすと床に擦れた毛がたくさん抜けます。
その毛が乾いた状態で毛束となって数カ所に落ちていました。
被毛の乾き具合を見るとおそらく2,3時間くらい前に発作を起こしたんじゃないかなと予想。
夜8時から9時くらいかな。
と、ふとニュースを見ると夜8時半ごろに地震があった事が判明。
ここら付近の震度は大した事なかったみたいだけど、我が家は6階なので少し揺れる。
それに2,3日前の夜中にあった地震は音も凄くてGGともビビっていた。
もしかして地震で発作を起こしたのかな。。。
そこらへん、ごろちゃんに聞いてみたけどニャーニャー言うだけでヒアリング出来なかった。
テーブルの上で毛づくろいするごろちゃんを見上げるグーグー。
ともあれ、1ヶ月以内に2回も発作が起きてしまった。
ずーっと5,6ヶ月に1回だったのにここ最近は2ヶ月置きになってしまってちょっと心配していところ。
でもその代わり発作後の復活が早いし発作直後の下半身の麻痺もないから安心材料もあった。
でも1ヶ月に2回。。。。これはごろちゃん至上初めて。
ここらへんでもう一度検診に連れて行った方が良いかもな。
発作発覚後すぐ、かばさんがいつも通りごろちゃんをシャワーに入れました。
そしていつも通り被毛が乾くとグーグーはごろちゃんを威嚇しなくなりました。
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テーマ:猫のいる生活 - ジャンル:ペット
- 2015/05/31(日) 23:34:18|
- ごろちゃんの持病 特発性てんかん発作
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昨日は調整日でした。
暑かった〜

今年初めて半袖を着用。サンダルを履いてる方も結構見かけました。
下記今回の調整内容です。
右上3番のブラケット位置の変更。上前歯6本のパワーチェーン交換。左下8番(7番)〜6番のパワーチェーン交換。以上。

先「どう?右上2番と3番の隙間は閉じた??」
私「いやぁ〜 閉じてません。途中で動きが止まりました」
先「どれどれ。。。。。あ〜 ちょっとだけ動いたって感じかな〜」
私「あと1mmくらい隙間ありますよね〜」
先「よし!右上3番のブラケットを付け替えよう!」
先「隣の3番のブラケットの位置を変えたら2番が動くはず」
なるほどー。3番のブラケット位置の影響で2番の動きが止まってしまったのか。

先「あとこの隙間が閉じればもう少し前歯後退させて終わりなんだけどな〜」
私「下顎はどうですか?」
先「もう少し前歯後退させたら下顎の正中はマシに見えるかもしれない」
どーゆー事なのか

上顎と下顎が近づくと正中がキレイに見えるものなのか

先「か、ぐーごーさんがまだ気になるならもう少し正中合わせチャレンジしてみてる?」
先「いずれにせよ2番と3番の隙間が閉じてからだね」
先「それと他にも気になる箇所あったら言って下さいね」
私「ハーイ」
もう正中は気にならないけどなー。
でもここまで来たらやれる事は全てやって終わらせたいし。
ま、来月また考えよう。
下記口内画像あります

ご注意を〜

↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
2015.4.29

2015.5.27

2015.4.29

2015.5.27

2015.4.29


2015.5.27


2015.4.29

2015.5.27

2015.4.29

2015.5.27

2015.4.29


2015.5.27


先生の予想通り、右上2番3番の隙間は昨晩閉じました。
ここ最近、右上2番の角度が気になってきた。
真っ直ぐ立っていない気がする。1番寄りに立っている気がする。気のせいかなー。
私の歯の形は卵形のため、隣の歯と接する面が少ないらしい。
だから余計に真っ直ぐ立っていないように見えるのかも知れない。
そこらへん次回先生に聞いてみよう。
次回調整日は6/30です。
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テーマ:美容と健康 - ジャンル:心と身体
- 2015/05/27(水) 18:16:21|
- ブラケット装着13ヶ月目〜ブラケットオフ
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先週月曜日の夜、父が急性心不全のため急死しました。
お通夜は5/20。お葬式は5/21でした。
今回で父の記録を最後にしたいと思います。
なにかのはずみで父の記事を読んで下さった方、父に代わって心から御礼申し上げます。
本当にどうもありがとうございました!
今回もコメント欄は閉じさせて頂きます。
父は中学校まで地元大分で過ごし、高校と大学は東京でした。
そのため、口調は大分弁、関西弁、東京弁が混ざっていました。
特に印象的なのは、語尾が 〜だぜ!というのが多かったように思います。
大学卒業後、神戸で就職し、のちに転職。
定年を迎えるまで阪神間で働き、その後5年くらい営業のお手伝いをちょくちょくしていました。
定年を迎える直前「定年後はなにかボランティアをしたい。ひとの役に立ちたい」と
常々話しており、シルバー人材派遣に登録していました。
なので定年後は営業の仕事をしつつシルバーの仕事もしていました。
営業の仕事を辞めた後もシルバーの仕事だけは亡くなる直前までしており、
自分も高齢者なのに同じ高齢者のお手伝いをしていました。
それほど父は自他共に認める凄い体力の持ち主でした。
父がまとめ役となり、シルバー関係の方々と今日バーベキューをする予定だったそうです。
父のここ10年の生活基盤は、シルバーと趣味の釣り&畑、という毎日でした。
突然の死だったにも関わらず、たくさんの方々が父にお別れを言いに来て下さいました。
亡くなる前日まで地元大分で沢山の方々と会っていた事と、亡くなる当日に同じマンション内の方々と
話をしていたのでみなさん一様に父の死は信じられない様子でした。
父に会いに来て下さった方々は、父との楽しい思い出を私たち遺族にたくさん話して下さったのですが、
私たちが初めて聞く話もあり、新鮮でした。
どれも「お父さんらしいなー」という話ばかり。
中でも50年以上の親友、トヨタ仲間は皆さん個性的でやんちゃ。話を聞いていると類友だな、と妙に納得。
弔辞は父の大分の幼馴染が読んで下さいました。
素晴らしい弔辞で、父が亡くなる数日前に大分で一緒に食事をしたそうです。
その食事の時に話した内容から幼少時代まで遡ったお話でした。
その中でも私たちの知らない父の幼少時代、特に学校の演劇で父が桃太郎を演じたのは初耳で、
そのまんまやん!と、父の桃太郎姿は安易に想像出来ました。
父は凄い読書家で博学でした。
そのため、どんな方とも話が出来、どんな質問にも答えてくれるひとでした。
これはみなさんも同じ印象だったようです。
特に歴史が大好きで、私が子供の頃に邪馬台国や近代史の話をよくしてくれたのですが
いつも面白おかしく話してくれたので、私の中ではお笑い芸人よりも父が一番面白い人だと思っていました。
私と妹が歴史好きになったのはそんな父の影響が大きかったと思います。
畑作業は定年前からの趣味でしたが、定年後には本格的にやり始め、色んな作物を育てていました。
中でも大、大、大好評だったのは黒豆。
親戚、マンションの友人、私たち夫婦、妹家族、かばさんの実家、とにかく全員に配っていました。
それほど自信があったのでしょう。
父の黒豆を一度食べてしまうと他の黒豆はもう食べられないほど絶品でした。
あの黒豆がもう食べられないと思うと残念でならない、とみなさん口を揃えて言って下さいました。
本当にそう思います。
釣りは定年後に始めた趣味です。
畑も釣りも自分のペースで出来る、相手を探さなくても出来ると始めた趣味でした。
結局は釣りも畑も仲間が出来、釣りは私もかばさんも父と一緒に行った事がありました。
毎年12月ごろになると近所の海で太刀魚釣り。
私が手術をするまでは、父とふたりで週一ペースで行っていました。
かばさんは数年前からハマチが釣りたいと父に話しており、ようやく先月末に父と2人で
日本海へハマチ釣りに行って来たところでした。大漁でした。
次回は秋頃日本海に釣りに行こうと約束していたようです。
近所のチビッコにも人気があったようで孫(私の姪っ子)と二人で公園で遊んでいたはずが
最終的にはそこらへんにいるチビッコ全員と遊んでいるという事も結構あったようです。
晩年は孫と一緒に写った父の顔が一番幸せそうな表情でした。
いつも孫の事を気にかけていて、孫の面白エピソードを私に楽しそうによく報告してくれました。
今日で父が逝ってしまってから1週間が過ぎました。
先週の今頃はまだ父は元気だったんだな〜と、昨日のお昼、夕方、夕食後は時計を見ながらそう思い、
そして夜、父は人生の幕を突然下ろしたんだな〜 と、なんとも言えない気持ちで昨日は過ごしました。
お父さん、私は完璧にお父さんの子供です。
色素の薄い瞳、X脚、前髪の生え際のくせ毛、出っ歯(矯正させて頂きました)、
胃袋の大きさ、歴史好き、話好き。。。受け継いだ遺伝子がいっぱいです。
きっと他にもまだまだあるんだろうけど、これから先、私の中にあるお父さんの遺伝子に
気づいていくのを楽しみにしています!
お母さんと孫の事は私たちにお任せあれ!
でもたまにはお母さんに会いに来てあげてね。アンジと一緒に。
今まで4⚪︎年間、どうもありがとうございました。そしてお疲れさまでした。
お父さんの子供に生まれて本当に楽しかったよ。また会いましょう。
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テーマ:生きた証として - ジャンル:ライフ
- 2015/05/26(火) 13:31:04|
- 私事
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父が先週月曜日に他界しました。
急性心不全という突然死でした。いわゆる心臓麻痺です。
亡くなる前日までの数日間、父は地元の大分に帰省しており、
月曜日の午前1時半に車で兵庫県の自宅に帰って来ました。そのまま就寝。
朝起きて、それまで大切に保管していたあるチケットを引き出しから取り出したそうです。
今回は、前回前々回の父の記事から引き続き、生前父が楽しみにしていた事を記載したいと思います。
父の記事は極めて私事ですが、何事も書き留めておく事が好きだった父のために
ここに記録しておきたいと思います。何より父に読んでもらいたいのが一番の理由です。
そのため、コメント欄は引き続き閉じさせて頂きます。
父が引き出しから取り出したチケット。
それは、5/21開催の阪神巨人戦のチケット2枚でした。場所は甲子園です。
父は昔からの大の阪神タイガースファンで、母もそれにつられていつからか阪神ファンになっていました。
今年3月にかばさんがホワイトデーに父と一緒にと母にプレゼントしたチケットでした。
「そんな大げさにホワイトデーのお返ししなくて良いよ」と、当時私はかばさんに言ったのですが
「日頃、野菜や魚をもらってるからそのお礼も兼ねて」と、かばさんが取ってくれたチケットでした。
父の趣味は釣りと畑です。
「ぐーごーの席も3人横並びでチケット取ったから〜」と言われ、ビックリ。
それならばと、父と母には私も一緒に観戦する事は内緒にして当日シレッと隣に座って
二人を驚かせよう!という作戦をかばさんと計画。
なので父は最後まで私も行く事を知らずに逝ってしまいました。
とにかく21日の阪神戦を楽しみにしていた父。
かばさんはカープファンなので生前二人であーだこーだよく野球の話をしていました。
次回は阪神カープ戦に一緒に行こうとも言っていた。
結局、観戦するはずだった5/21は父のお葬式になってしまいました。
2枚のチケットは、父がよく被っていたキャップ、タバコ、みんなで行ったハワイの写真、
ようやく実の付いたナツメの枝と孫からの父への手紙と一緒に棺に入れました。
ナツメは大分の実家に生えていたものを数年前に父が持ち帰り大事に育てていました。
夏前に可愛い赤い実がなるのを毎年父は楽しみにしており、亡くなる当日に小さな実を発見し
喜んでいたのだそう。
21日、お葬式から実家に帰ったのは阪神巨人戦が始まった頃。
母、妹、かばさん、伯母夫婦みんなで熱心にTVで観戦しました。
父はチケットを持って旅立ったので絶対甲子園で観てるわ〜とみんなで言いながら観戦。
結局、2-1で阪神の逆転勝利!!
ドラ1の横山投手がご両親の見守る中、初登板で力投し、打つべき選手が打ち、最近では一番良い
試合内容だったのではないでしょうか。と言いつつ、普段阪神戦はあまり見ていませんが。
なにはともあれ父もご機嫌であろう試合内容でした。
隣の席に私が座った時の父のニヤけた顔が見たかったなー。
私たちの知る中で父が楽しみにしていたもうひとつの事。
それは来月、名古屋での親戚の結婚式の際にトヨタ博物館へ初めて行く事でした。
父は大学卒業後、トヨタで働いており、車好きでした。
私が小学生の頃、父が車を買い替えたという事でみんなでドライブに出かけた事がありました。
その車は、トヨタのパブリカというクラシックなデザインの白い車でした。
私と母と妹は当時パブリカがデザイン的に好きになれず、乗車した記憶もほとんどない。
その後、トヨタの普通の乗用車を購入したのですが、父はそのパブリカがお気に入りで
しばらく手放さずにいたのだそう。
多分父にとっては思い入れのある車だったんだと思います。
その懐かしのパブリカがトヨタ博物館で展示されているという事で名古屋行きを楽しみにしておりました。
マンション友達とタコ釣りに行く予定も先週あったようです。
これは父の亡き後、その友人が教えてくれました。
とにかく先週の大分の用事がひと段落したら、楽しみにしていた予定が結構あったのに
それが叶わずに逝ってしまった事が残念でなりません。
今年、母方の祖母の三回忌が済んだら、またあちこち旅行しようと父と母は話をしていたそうです。
父は普段から思いついたら即行動というタイプなので行ってみたい場所はたくさんあったと思います。
私が幼少の頃までに、日本国内のほとんどを網羅していたのもそんな行動派の父のおかげだと思います。
次の記事で父の記録を最後にしたいと思っています。
次は、父が他界したからこそ分かった父の交友関係。
母、妹、私が思っていた以上に楽しい仲間がたくさんいたんだと感心しました。
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テーマ:生きた証として - ジャンル:ライフ
- 2015/05/25(月) 15:59:59|
- 私事
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父が今月18日に亡くなりました。突然死でした。
なんの持病もなかったはずの父がなぜ突然逝ってしまったのか。
残された私たちは父が亡くなった直後、その話ばかりしていました。
今回は前回記事の父の最期に引き続き、父が亡くなるまでの数日間を記録しておきたいと思います。
そのため、コメント欄は今回も閉じさせて頂きます。
死亡診断書の直接死因欄には急性心不全と記載されておりました。
急性心不全の症状を細かく調べると確かに父の最期の症状と一致します。
しかし何がきっかけで急性心不全をまねいたのか。
父は亡くなる数日前の5/12から亡くなる前日の5/17まで大分の実家にいました。
主に法事と身辺整理のためです。母は同行していませんでした。
身辺整理と言っても書類的な事ではなく(それはもう済ませていた)実家の側にある
父の叔母の家の家財道具を処分するといった力仕事でした。
父の叔母は数年前に病気で他界、叔父は戦死。そのためもう何年も空き家になっていました。
空き家と言っても、父が大分へ帰省した時にはいつも叔母の家に寝泊まりしていたので
ある程度メンテナンスはしていたと思います。
その後、土日に法事を済ませ、18日の午前1時半ごろに母の待つ兵庫県の家に帰宅。
父はこの10年間、大分へは車で往復していました。
フェリーを使う時もあったけど、ほとんどは自分の運転のみです。
しかもいつも休憩なしでぶっ通し運転し、片道7時間半かけて行き来していました。
毎度毎度これには周囲も驚かされていました。
トイレ休憩のみの7時間半のぶっ通しの運転。
今回もそうだったようです。
どれだけ運転好きの父でもさすがに疲れないわけがない。
しかも今回の帰省はこれまでと違って力仕事もあり体力的にも疲れていたはず。
母は今回ばかりはそれが心配で帰宅途中「睡眠を取りながら帰って来てね」と、父に言っていたそうです。
父は「一度休むと逆にしんどい」とかなんとか言って結局一睡もせずいつも通りぶっ通しの
運転で夜中帰って来たそうです。
そのままお風呂も入らず就寝。
18日の朝は普通に起きてお昼からは母と車でお買い物に行ったりといつも通りの普通の1日を過ごしたようです。
そしてその日の夜に他界。
普段どれだけ元気そうに見える父でも、やはり75歳には今回の帰省は体力的にも負担があったと思います。
それと急性心不全というからには、元々心疾患があったのではないかと疑っています。
その兆候は私たちは全くわかりませんでしたし、健康診断でも異常はなかったとの事。
実は私と私の叔父(父の弟)は同じ病名の心疾患を抱えています。
今はもう私も叔父も適切な治療を受け普通の生活が送れているのですが
もしかしたら父も同じだったのではないかと今思います。
私も病気が発覚する3ヶ月前に受けた健康診断の心電図やエコーは全くの異常なしでした。
叔父も父も私も低血圧での心疾患。しかも遺伝性の高い病気です。
全く同じ心疾患だったかどうかはもう今となっては分かりませんが、
少なくとも何か心臓に問題を抱えていたんじゃないかな〜 と、私たち遺族は思っています。
そして前日までの無理が心臓に負担をかけたのでは、というのが私たちの考えです。
もしかしたら本人にはなにか自覚症状があったのかも??とも思いますが
こればっかりは本人に聞いてみないと分かりません。
急性心不全。
これはお医者さん曰く、最も痛みを伴わない死だそうです。
しかも父は死ぬ直前までいつもと変わらない穏やかな時間を過ごせていた。
へんな話、私も妹も母もお父さんらしい死に方だな〜と言っています。
一般的に75歳という年齢は早死にとは言わないだろうけど、
父の性格を考えると少し早い死だったと思います。
活発、精力的、溌剌さ、能天気、異常なまでの人懐っこさ、尽きない探究心と好奇心、ボランティア精神、
世話焼き、いざと言う時に発揮するリーダーシップ。。。父の性格ならいつまでも人生を楽しめた事でしょう。
父は亡くなる日の18日、たくさんの友人と話していたそうです。
父と母はマンション住まいなのですが、同じマンションの友人と他愛もない話をしたり
夜8時ごろには退院したばかりの大親友の体を気遣い電話で話をしていたそうです。
その大親友はこれまでの父の話で一番名前が出てきた方で、父が就職してからの長い付き合いでした。
父が倒れる直前まで話をしていたので、父の訃報を連絡した時、しばらく信じてもらえませんでした。
父が大分に帰省した時も、最終日に法事をし、多くの地元や親戚の方々と会っていた事もあり、
皆さん一同に「一昨日会って話したのに。。。」と言いながら全く信じられない様子でした。
その中でも父の弟、私の叔父に病院から父の訃報を連絡した時の事。
「え?⚪︎⚪︎ちゃん(私)のお父さんって事は僕のにいちゃんの事?」と全く信用してもらえず
数分後、折り返しその叔父から「さっきの話、本当なの?」と確認の連絡があったほどです。
叔父は父が亡くなった前日に、叔父の家族みんなで食事をしたようです。
お葬式の時に叔父から貰ったその時の写真には 2015.5.17 と印字されていました。
それと、私と父と叔父は会うとよく冗談ばかり言っていたのでイタズラか何かかと思ったのかも知れません。
そんな感じで父は倒れる直前までいろいろな方と明るく普段通りに接していた事と
いつも元気いっぱいの父の印象から周囲の皆さんは父の死が信じられない様子でした。
お父さんはこの事態をどう見ているんだろう。
父の性格からそれほど悔しい思いはしていないとは思うし、人生でやり残した事はない感じだけど
大分から帰ってきて楽しみにしていた事があったのは知っています。
次回記事にはそこら辺を記載してみようと思う。
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テーマ:生きた証として - ジャンル:ライフ
- 2015/05/24(日) 15:31:19|
- 私事
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5/18 午後10:15 父が亡くなりました。享年75歳。死因は急性心不全でした。
父は何かと記録に残す性格で、阪神大震災の時も身近に起こった事やその時に感じた事などを
個人的に本にし親しい友人や親戚に配っておりました。
娘の私が言うのもなんですがよく出来た内容で周囲の方々からの評判もとても良かったもんです。
晩年は終活もしており、少しだけ私も手伝っていたのですが、父の人生に関わった方々の
詳細をノートにまとめる作業から取り掛かっていました。
その中には3年ほど前に他界した実家の猫アンジの事と父が小学4年生から大学卒業まで飼っていた
柴犬ミックスの事も愛情深く記載されていました。
今回、父の死を記事にしようと決めたのは、このように父が記録する事が好きだったから。
自分の最期を記録されるのは父もきっと喜ぶだろうと思ったからです。
私個人としては父の終活の最後を引き継ぎ、父の最期を周囲の人々がどう受け止めたかを
父に読んでもらいたいという想いと、父への弔辞という想いで記事にしようと思っています。
そのため、誠に勝手ながらコメント欄は閉じさせて頂きます。
本文には気分を害する内容が含まれる可能性がありますのでご注意下さい。
18日 午後9:58 私の携帯電話に母から「お父さんが倒れて今病院にいる」と連絡がありました。
倒れた?なぜ??どこで??
とにかく病院名だけを聞き、かばさんと車で急行。
かばさんはお酒を飲んだ後だったので運転は私。
本降りの強い雨で時々視界がほとんどなくなるほどの土砂降り。アンジが亡くなった時と同じような雨。
車中では、父がどこでなぜ倒れたのか?等、かばさんと色々憶測しながら話していました。
するとなぜかふと、お父さん、ダメかも知れないな。。。。と、思ってしまい、かばさんに
「お母さんから連絡が入るかも知れないから私の携帯をカバンから出しておいて」と言いました。
かばさんが私の携帯電話をカバンから出すとすぐ電話が鳴り、かばさんが応対してくれました。
午後10:13 。母からでした。
かばさんの話す口調からすぐ分かりました。
「お父さんダメだった?」と、私がかばさんに聞くと「うん。。。」という返事。
全く理解出来ませんでした。
父は血圧も低く、タバコは吸うけどこれといって命に関わる持病もなかった。
定期的に健康診断も受けており、なにより元気なのが取り柄でした。
75歳という年齢ではあったけれど、周囲の人たちも驚く体力の持ち主でいつも活発に動き回る。
食欲も旺盛で、私もかばさんもよく食べるけどそれを上回る大食漢。
父は誰よりも長生きするだろうと親戚や友人、私たちもいつも言っていました。
75歳の割には〜 という言葉が不要なくらい元気な父でした。
私とかばさんが病院に到着したのは午後11時少し前。
すぐ救急外来へ。
先に到着しているはずの妹と母の姿は見当たらず、受付の方に伺うとしばらくして私たちは
霊安室に案内されました。
ストレッチャーに横たわった父の側には母と妹。
ふたりとも呆然とした表情。
私より病院の近くに住んでいる妹も間に合わなかったらしい。
父の口にはまだチュープが入っていました。
顔色は悪いけど表情は穏やかでただ眠っているだけに見えました。
私は父の頬やおでこに手を当て「お父さん。。。」と呟いたのを覚えています。
もう体温は低かったけどそれ以外の違和感は何もありませんでした。
肌も自然な弾力があり、いつものお父さんの眉毛、おでこ、頬、耳。
見た目はいつものお父さんそのもの。顔色が少し悪いだけ。
父に一体何が起こったのか、母がいつもより少しだけ興奮した口調で話してくれました。
18日の夕食が済んでしばらく経った頃、おそらく午後8時50分くらい。
午後9時から父が見たいTV番組があったので父に声をかけようとふと廊下に目をやると
トイレからうめき声が聞こえたそうです。
母がすぐトイレのドアを開けると、汗びっしょりの父がトイレの壁にもたれかかって
座った状態で倒れていたそうです。
母が「お父さん!」と言うと、父は「あ〜 もう⚪︎⚪︎(母の名前)に会えないかと思った。。。」
と言ったそうです。
母がすぐに「救急車呼ぶよ!」と父に言うと「要らない。だいぶ楽になった」と答えたのだそう。
でもその時の父は、目を半分だけ開けた状態でこれまで母が見た事のないしんどそうな顔だったそうです。
「横になりたい。。。」そう父は言いながらトイレから這って出てうつ伏せに倒れたのだそう。
これが父の最期の言葉でした。
母はうつ伏せに倒れた父のおでこに濡れたタオルを敷いたりお布団を用意しながら「もう救急車呼ぶからね!」
と言い119番に連絡。
午後9時に救急車が到着するまで電話で色々指示をもらったけど思うように対応が出来なかったらしい。
でも心臓マッサージだけは夢中でやったと母が言っていました。
最初に電話で指示をもらった時、もう呼吸はなく心臓も動いていなかったらしい。
おそらくうつ伏せになってすぐ心肺停止状態。
結局そのまま車中も病院でも一度も父は帰ってきませんでした。
私たちが病院で父に対面してから父が実家に帰宅するまで約4時間くらいかかりました。
霊安室で母から父の最期の話を聞き終わると一旦待合室へ出て警察が母へ事情聴取。
その事情聴取は18日 午後11時過ぎから19日 午前0時まで続きました。
事件性は全くないけど話を聞かせてもらうのが警察の事情らしく、結構長い間話をしていました。
母が警察の方と話をしている間に父の検視。
検視がどれくらいの時間を要するのか教えてもらえなかったので葬儀屋に連絡が出来ないまま
私と妹とかばさんの3人で色々話しながら母の事情聴取と検視が終わるのを待ちました。
3人とも父の死は全く現実味がなかったので(今もありませんが)父のおもしろエピソード等
結構楽しく話しているうちに母が警察から解放され、そこからは4人で葬儀屋さんの話に。
何を基準に葬儀屋さんを決めれば良いのか分からずにいると母がなんとなく
「この葬儀屋さんはお父さんとドライブした時によく前を通ったわ〜」と言ったのが
決め手となり、病院と実家の間にある葬儀屋さんに決定。
検視が終わったのが19日 午前1:15頃。
そこからすぐに葬儀屋さんに連絡し、父を迎えに来てもらう事に。
病院に到着するのに1時間くらいかかると言われたので
父のお迎えは母と妹にお願いし、私とかばさんは一旦家に帰る事に。
お葬式の用意、数日分の荷物、父の遺影を探すためにPCを持参し、シャワーを浴びてから家を出ました。
私が実家へ到着したのは19日 午前5時頃。実家へ向かう道中も凄い雨でした。
父が実家へ帰ったのは午前3時頃だったそうです。
実家の和室に横になっている父は本当に本当にただ寝ているだけのようでした。
霊安室にいた時よりも顔色も良く、表情もいつもの朗らかな表情。
「お父さん」と呼ぶと今にも「お?なんや??」と目を開けそうな寝顔。
結局火葬場までその元気な表情はほとんど崩れる事はなく顔色も良かった。
父は釣りと畑が趣味だったので年中日焼けしていました。そのため顔色が最後まで良く見えたのでしょう。
表情が朗らかで生前のままだったのは葬儀屋さん曰く、闘病生活がなかったからだそうです。
最後まで普通の生活をしていたので栄養状態も良く、顔の筋肉もしっかりある状態だったからだそうです。
私は数年前に闘病生活の長かった伯父と祖母を亡くしているのですが、
二人とも死後どんどんお顔が変化していき、お葬式の時には別人のようでした。
そのため、棺の中の伯父と祖母のお顔を見て「亡くなったんだ」と感じる事が出来たのですが
父には最後まで全くそれを感じる事が出来ませんでした。
毎夕食後、ソファで横になって寝ていた父。しばらくすると慌てて起きて「もう寝なきゃ!」と
今まで散々寝ていたのにそう言っていた父。
今回もそう言いながら起きてきそうないつもと変わらない気持ち良さそうな寝顔でした。
突然死というのもありますが、その朗らかな寝顔を見る度に私たちは父の死に現実味を感じる事が出来ず
いっその事別人の様な顔になってくれた方が良いなぁ〜と、みんなで言っていた程です。
父の骨も火葬場の方が驚くほどとても健康的でしっかりとした大きな骨格でした。
関節も大きくてしっかりしていました。
中でもみんなが驚いたのが歯。
75歳にして自分の歯が全て揃っており、綺麗にならんでいました。
しかも差し歯も銀歯もなく、もちろん入れ歯もなし。
そういえば父は定期的に歯医者に検診に行ってたな〜。
今回は父の最期を記事にしてみました。
お父さん、こんな感じでどうよ?
次は引き続き、私たち残された者が憶測するお父さんの直接の死因を書いてみようと思う。
解剖はしていないので正確な原因は一生わからないけど私たちは多分あの事が原因だったんじゃ
ないのかなぁ〜と思ってます。
お父さん、今日はお父さんが19日に収穫するはずだったレタス、サニーレタス、玉ねぎ、
イチゴ、えんどう豆をみんなで獲って来たよ。
レタスは結構腐りかけてたけど明日サラダにして頂きますね〜。
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- 2015/05/23(土) 23:59:31|
- 私事
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今朝5時前にごろちゃんがてんかん発作を起こしました。
前回発作が2/28だったので今回は2ヶ月ちょっとの間隔です。
その前が年末だったのでここ最近は2ヶ月間隔。それまでは4,5ヶ月置きに起こってました。
発作後のシャワーから出てきたごろちゃん。
発作場所はかばさんの部屋の隅っこ。
最近のごろちゃんお気に入りの場所です。
今回も爆睡中からの発作。
私もかばさんも発作開始のバタバタする音で飛び起きてすぐ彼のそばに集合。
ふたりで静かに発作が終わるのを見守りました。
グーグーはどこかで寝ていた。「今回発作長い。。。。」とかばさん。
確かにそう感じる。いつもは30秒位だけど今回は1分くらいあったかも。
まだ外は暗くてごろちゃんがどういう態勢なのかよく見えなかったけどフワフワのお腹の毛が見えたから
仰向けだったのかも。表情は今回もよく見えない。
声は無く手足が素早くバタバタする音だけが聞こえる。
で、いつも通りバタバタ音がゆっくりになるとオシッコの匂いがして次第に発作が収束。
グーグーはごろちゃんにシャーシャー言う事もなくお気に入りの場所でお昼寝。
発作終了数秒後、上体を起こしキョトンとした表情でこちらを見上げるごろちゃん。
この後私のベッド下に隠れるだろうからお先に私はベッドへ戻りました。
発作直後は神経過敏になっているごろちゃん。
音を立てずにじーっとごろちゃんがやってくるのを横になって待つ。
暖房の風が当たる場所で毛づくろい。
「ごろちゃんどこ行った?」
ごろちゃんが一向にベッド下に来る気配がないので、私の部屋を覗くかばさんに聞いてみた。
「もうベッド下にいるよ」とかばさん。
さすが猫。
さすがごろちゃん。気配を消すのが上手い。
グーグーにはないスキル。「足引きづりながら歩いてた?」と私。
「全く引きずってなかったよ。フツウに歩いてた」
「え?全く??」
「うん。全く」
この場所も暖房の温かい風が当たる場所。よくわかってらっしゃる。
最近の2ヶ月置きの発作の方が発作後の症状が軽いように思う。
前回も発作後もスタスタとフツウに歩いてベッド下に入って行った。
4,5ヶ月置きの時は、ベッド下に来るのも足を引きずりながら匍匐前進でやっとこさ歩いてた。
発作の間隔が短くなる代わりに発作後の復活が早い。
発作の間隔は長いけど発作後しばらく手足の神経が麻痺している。
どちらが良いのか。
今月のワクチン接種時に先生に聞いてみよう。

お昼頃、かばさんがごろちゃんをシャワーに入れました。
風邪を引かないようにリビングのエアコンを28度に設定。
暑い。。。でもごろちゃんのためならヘーキヘーキ。
ごろちゃんもちゃんと風の当たる場所で毛づくろい。
えらいねー!私もブラッシングでごろちゃんの毛づくろいをお手伝い。
直毛ごろちゃん。
お疲れごろちゃん。
今はぐっすりお昼寝中。
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- 2015/05/09(土) 16:47:11|
- ごろちゃんの持病 特発性てんかん発作
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今年もグーグーに首輪装着しました


カット終了後、トリマーさんに装着してもらった赤いバンダナ。
今年もボロボロになるまで付けておこうと思っていたけど、昨晩毛づくろいの最中
端っこの縫い目に牙が引っかかってバタバタしているグーグーを目撃。即撤去。

グーグーのサマーカット後、私が密かに楽しみにしていたのが首輪装着。
ほっそりした首にリボンの付いた首輪。その絵面が新鮮でめちゃくちゃカワイイ

首輪に付いている鈴は最初撤去しようと思っていたけど
本ニャンが全く気にしていない風なのでそのままにしておいた。
するとグーグーが動くたびにシャンシャンと音がするのがこれまたカワイイ

「あ!グーグーが走って来た!」と姿が見えなくても気配が分かるのが面白い。



カット後、身軽になったからかアクティブにちょこまか動き回るグーグー。
今、なにをやっても面白いグーグー。
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- 2015/05/08(金) 23:56:04|
- グーグー
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本日、グーグーをサマーカットにお連れしました

最高のサマーカット日和

GWという事もありペットホテルを利用していたワンちゃんネコちゃんも多かった。
早速すぐそばのゲージにネコちゃんがいる事に気づいたグーグー。

ネコちゃんはグーグーに何やら一生懸命話しかけてたけどグーグーはニャーとひと言返事するのみ。
先ずは足回りメンテからスタート。

その後、私はその場を離れ、30分ほどして戻ると最初のカットが大方済んでいた。

凄い毛の量。そら暑いわ。

するとトリマーさん2人が笑いながら少し騒いでいるのに気づき
なんだろうとグーグーをよ〜く見てみると。。。。。

トリミング台でフツウにウンチしておりました。。。
トリマーさんごめんなさい!しかも最後はご丁寧に砂かけポーズまでするという律儀な性格。

お腹の毛のカットがトリマーさんもグーグーも一番大変。

大まかなカットが終わったところでシャンプーへ

マイクロバブルとかいう贅沢なお風呂に入れて貰ったのにありがたみは全く伝わらなかったご様子。
しかも後から聞いた話しでは泥パックまでして貰ったらしい。



シャンプーが終わるとドライしながら入念に全身をブラッシング。

そして最後にもう一度バリカンで整えて貰ってサマーカット完成〜


今年のバンダナは赤をチョイス。意外にも似合うと満場一致で決定。

ただいま〜。



さすがに夜はまだ寒いのか、最近暑くて寄り付きもしなかったフワフワな場所で只今爆睡中

かなりお疲れのようです。

グーグー、トリマーさん、お疲れさまでした

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- 2015/05/05(火) 23:54:12|
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今日はケルヒャー
家庭用高圧洗浄機を実施。
半期に一度のケルヒャーデー。ベランダと窓を大掃除

まぁまぁのモーター音が出るのでいつもGWのだんじり中に実施。
だんじりの太鼓の音や掛け声で騒音が誤魔化されるだろうという安易な考え。
我が家付近は毎年GWの数日間、だんじりが出ます

ケルヒャーのスイッチが入るとGGはモーター音の鳴る方向へいちいち意識を集中。



なにこのならび。

意外にもGGはケルヒャーの音にビビらない。
その代わり音の鳴る方向だけはその都度正しく把握していきます

窓を洗浄する前にかばさんが楽しそうにクリーナーを散布するも。。。。

我関せずのGG。


ケルヒャーってやり出すと楽しい

これは絶対取れないだろーなーと思う汚れもキレイにすぐ取れるのが爽快

夜はイタリア料理店で母のバースデーパーティーでした

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- 2015/05/04(月) 23:50:58|
- GG グーグー&ごろちゃん
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最近急に暑くなってきました

昨日まで、さすがに夕方はまだ涼しいなぁ〜と言っていたのに今日は夕方も室内は暑かった。
私やかばさん、ごろちゃんは今の季節は過ごしやすいんだけど
このお方だけは違う様です。

日が沈み切った夜間でさえ廊下のひんやりした場所で行き倒れている。



このサイドテーブルの脚にもたれかかるようになったら彼女の中ではもう夏。

グーグーは暑くなるとなぜかここにもたれかかる。ちょっとは涼しいのだろうか。
とにかくもうふわふわフカフカの場所にいる事がなくなったここ数日。
体のあちこちに抜け毛を伴う毛玉も増え出し、ブラッシングが追いつかなくなってきた

という事で今日、毎年恒例のサマーカットの予約を入れました

決行日は5/5

カットは毎年6月の梅雨入り頃にするのですが、今年はこれからまだ暑い日が続くという事なので
思い切って予約しました。
でも梅雨入りするとちょくちょく寒い日もある。そんな時は服でも着て頂こう。
グーグー、もう少しの辛抱ですよ

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- 2015/05/01(金) 23:09:51|
- グーグー
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