今日は
実家猫アンジの11回目の
命日。
アンジが旅立ってからもう丸10年経つんだなぁ。アンジ、もう10年会ってないんだね。
2022.9.29 今年のお花。

去年10回目の
命日を迎える頃、母がアンジの
納骨について初めて口にしました。
母ももう良い歳。今後の事も考えて言ったんだと思う。
とは言え母の歯切れが悪かったので「良かったらアンジこっちに引っ越してもらっても良いよ。グーグーの隣に」
と、申し出ました。すると「ホントに?!」と、母はちょっと嬉しそうな口調。
結局あと1年、丸10年は実家に居てもらってそれからどうするか考えようという事に。
今年、その丸10年を迎えました。
アンジ、お母さんと話すと必ずアンジの思い出話が出てくるよ。可愛い話。
これからもお父さんと一緒にお母さんを見守っててね。
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- 2022/09/30(金) 16:35:14|
- アンジ
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1ヶ月ぶりの更新となってしまいました。
こんなに間隔が空いてしまったのはこれまで一度もなかったんじゃないかなぁ。
そんな風に思い起こしてふと気づいた事。
このブログ、な、なんと10年目に突入しておりました😳😳😳
それすなわち、歯列矯正スタートがもう10年前になろうとしているってこと。
そもそも私の歯列矯正を記録しようと始めたこのブログ。
それならばと当時我が家の愛猫グーグー&ごろちゃんの日々も記事にしようとスタートしたのが
2012年5月の事でした。
そして当初の予想通り、すぐにGGのブログとなりました。
さらにもうひとつ、まさに今日10年目を迎えようとしている事があります。
実家猫
アンジ。今日9回目の
命日です。
2021.9.29 実家に送ったお花と。
アンジ、もうあれから9年が経ったんだね。会いたいな。

来年2022年春に改めて㊗️10周年の記事を書こうと思う。
ちなみに今のこのブログの主役、ごろちゃんピーちゃんはお変わりなく元気に過ごしております😙
2021.9.25 長めの52秒です。
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- 2021/09/30(木) 15:38:45|
- アンジ
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今日、アンジが旅立って丸4年が経ちました。
4年と1日前までは生きていたんだよなぁ。
嫌いなカリカリはキレイに残す。そして堂々と新たなご飯を催促する。

今年も実家にお花を送りました。
「アンジ喜んでるわ。忘れられてないって喜んでるわ」と、母から連絡が。
忘れるわけがない。
一日だって忘れた事ない。
最近のグーグーお気に入りの場所。

キジ模様の猫が一番多いらしいけど、私の中でキジ猫さんは特別だわ。
グーグーにプイッとされて切ない表情のごろちゃん。


会いたいなぁ。
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- 2016/09/30(金) 23:52:53|
- アンジ
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今日でアンジが旅立ってから丸3年になりました。
まだ3年しか経っていないのか

と、びっくりして再度確認してみるとやっぱり3年でした。
もう随分昔の事のように思います。
でもかばさんは、もう3年かぁ〜 と言っていたので感じ方は人それぞれ違うようです。
今朝、目覚めた時の最初の光景がこれ。
アンジが天国に行った日からお世話になってきたご近所のお花屋さん。
今年もお世話になりました。
アンジの事をよく覚えていてくれて毎年花束を作成してくれたお姉さんは今年異動でいなくなってしまいました。
なので今年は新たなお姉さんにアンジの特徴を改めてお伝えし、アンジっぽい花束を作成して頂く事に。
「凄い美人で運動神経バツグン。だけど性格は甘えたさん」
今年はもうひとつ花束を作成してもらいました。父へです。
「あくまでも今回はアンジがメインでお願いします」と、お姉さんに伝えると父の特徴も聞かれたので
「博学。だけどオトメ」と、伝えておきました。

お花屋さんへ行ったのは一昨日。配達をお願いしました。
花束作成は昨日なので実際私は完成品を見ていない。どんな風に完成しているか楽しみ。
そして今日、母から花束が届いたと連絡がありました。
去年まで父が花束到着の連絡をくれていたけど、今年からはそうじゃなくなりました。
父から連絡があるとアンジの思い出話で盛り上がったもんです。
そういえば、父は終活ノートにアンジの事を「我が家のアイドル」と、記載していたなぁ。
2015.9.30 実家に届いたアンジのお花。母が写真を送ってくれました。
生前仲良しだったふたり。寄り道が得意なふたり。
ちゃんと会えたのだろうか。。。
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- 2015/09/30(水) 23:51:15|
- アンジ
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今日はアンジの三回忌です。
アンジが旅立ってから丸2年が経ちました。
まだあれから2年しか経ってないのか〜という思いです。
もうずーっと昔のように感じます。

昨日、実家にお花を送りました。
今回もこれまでと同じお花屋さんにお世話になりました。
アンジが旅立った当日と、一周忌の時にお世話になったお花屋さん。
昨日、そのお花屋さんに行くと。。。。
「去年、猫ちゃんの一周忌に来て下さった方ですよね?」と、お店のお姉さんが覚えて下さっていました。
さらには
「その猫ちゃん、華麗でカッコ良くて美人。性格は甘えたさんだけど我慢強いんですよね!」
「ガーベラがお似合いの猫ちゃんでしたよね!」
泣きそうでした。
ここまで覚えて下さっていたなんて。さすがアンジ

ありがとう、お姉さん

今回ももちろんガーベラを選びつつ、華やかかつ可愛いダリアをチョイス。
今朝、お花が届いたと母から連絡がありました。
2,3日前にアンジの動画を見ていたそうです。
なんとも言えない気持ちになったと言っていました。
なんとも言えない気持ち。分かる気がします。
先日、母からアンジが付けていたたくさんの首輪とケープを譲り受けました。
そうは言っても、GGは普段首輪付けないし、ケープなんて想像出来ない。
アンジもケープはさすがにイヤがってほとんど付けなかったそうです。
それでもその首輪とケープはアンジが一度は身につけたモノ。捨てられるワケがない。
それならばと母がGGにくれました。


今日、少しだけグーグーにそのケープを付けてもらいました。
特にイヤがる事もなく、平然としていたのは意外。
被毛が長いので違和感を感知出来ないのかなー。

アンジがいなくなって2年。
相変わらずアンジを思い出さない日は一日もない。
今になって、アンジがいないなんて信じられないと強く感じるようになってきた。

母は最近、ペットショップで他の猫ちゃんを見る事が出来るようになったようです。
「ソマリいたよ!ごろちゃんの可愛さを改めて確信したわ〜」と言っていました。
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- 2014/09/30(火) 18:15:31|
- アンジ
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今日は、実家のネコ、アンジの一周忌です。
あの悲しい日から1年経ちました。
1年経ってみると「もうあれから1年か」と思うのですが、最初の2,3ヶ月は
アンジがいなくなった日が遠い昔のように感じていました。

今日、アンジをイメージした花束を実家へ送りました。
今朝届いたと父から連絡があり、アンジの話を色々しました。
父「今日はアンジにお酒でもあげようと思ったんだけど、アンジは♂じゃないから止めたんや」
私「いやいや、♂♀関係ないし。アンジはお酒飲んだ事ないし、ネコだし」
父「そうなんや。アンジはお水しか飲んだ事ないし、そういやネコだったわ」
父「冷蔵庫の奥の方に、アンジが好きだったイカっぽいおやつを見つけたからそれもあげたんや」
私「アンジのおやつ、まだ残ってたんだね〜」
父「そうなんや。アンジが大好きなおやつだから、お母さんが捨てられなかったんだろうな」
父「1年経った今でも、アンジは早く逝き過ぎたって感じるわ」
父「やっぱりミックスだから強いって勝手な思い込みが、お父さんもお母さんもどこかにあったわ。
ちゃんと定期検査受けさせてあげれば良かったって思うわ」
私「そうだね。アンジはそれを本当に教えてくれたわ、人間も動物もね」
父は、アンジの生前から参加していた、ある動物保護活動を最近ある程度成し遂げたようです。
「これで少しはアンジの供養と償いになったかな」と言っていました。

2011.7.22 大好きなソファで毛づくろいするアンジ。
今月9/1に、アンジの一周忌の法要があり、アンジの眠るお墓へ、父母かばさんとお参りして来ました。
納骨棚に立てかけられていたアンジの写真が、天井に貼られているのを母が発見。

みんなと一緒に、今頃元気に走り回ってるんだろうな〜。
アンジが亡くなって最初の1ヶ月くらいは、スーパーでお買い物中も、電車に乗っている時も
いつも涙が溢れてしまい、必死にまわりにバレないようにしていました。
もう一生泣きっ放しなのかな、と思っていたのが、不思議とそうでもなくなり、
1年経った今では、アンジの生前と同じ生活が送れるようになりました。
でも、アンジの事を考えない日は1度もありません。
時間が経つ程、淋しさは増すばかりですが、不思議と悲しさは少しずつマシになってきました。
母は今でも「アンジ戻って来ないかな〜」とよくつぶやいています。
父母妹は、アンジの死を経験してから、グーグーとごろちゃんに対する想いが今まで以上に深まりました。

先日、祖母のお見舞いに、母妹姪っ子で九州へ行って来たのですが
「ごろちゃんとグーちゃんが待ってるから、先に帰り!」
と、母が真面目に私に促すのです。妹も、そーだそーだって感じでした。
夜にはかばさんも仕事から帰って来るし、GGは病気を患っているわけでもないし、
増してや寂しがってるとは思えないんだけど。。。
本当は何泊かするつもりだったけど、お言葉に甘え、結局二泊だけで戻って来ました。
アンジは家族のそれまでの価値観も変えたようです。
アンジ、たまにお母さんとお父さんに会いに来てね。
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- 2013/09/30(月) 17:48:39|
- アンジ
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今日は、
アンジの四十九日でした。
父、母、妹、姪っ子、かばさんと私でアンジに会いに行って来ました。
前回会いに行ったのは、初七日です。
あれから49日。
淋しさは日々増すばかりですが、みんなの心は明らかに、少しずつですが穏やかになっています。
母も、アンジの事を話す口調が少し明るくなっていました。
昨日、母が実家のベランダでアンジの長い白いヒゲを1本見つけたそうです。
ちょっとこれにはびっくりしました

アンジが亡くなってから49日。風の強い日もあったし、台風も来ました。
アンジは昨日、母と父にお別れを言いに来たのでしょう


私が最初に感じた大きな心の変化は、アンジが亡くなって10日程経った頃。
「アンジの病名を知りたい」とふと思いました。
それまでは、アンジの死因が今さら分かっても、アンジは戻って来ないし、
さらに後悔する原因が増え、家族や自分を苦しめるだけ。
だから、アンジの病気はこのまま誰も知らない方が良いと思い込んでいました。
でも、その病気も含めてアンジだったんだと、病気を知る事はアンジを知る事なんだと急に思い始め、
先ずはネットで検索してみる事に。すると、すぐに病名が判明しました。
それは、
「甲状腺機能亢進症」だったとほぼ確信しています。
→
甲状腺機能亢進症とは?その1 その2この「甲状腺機能亢進症」は早期発見が難しい病気です。
特に10歳を越えたネコちゃんは要注意です。今年の6月頃、母が
「この頃アンジが凄い食欲で、部屋中走り回って元気いっぱいなのよ〜。しかも夜鳴きながら凄い甘えてくるの!!」
と嬉しそうによく言っていました。
まさにこれが「甲状腺機能亢進症」の症状です。
10歳をとっくに過ぎた老猫アンジが、急にハイテンションになって食欲旺盛、しかも夜中甘えてくる。
飼い主としては、まさか病気だなんて思いもしないでしょう。
逆に自慢のネコだと思います。実際、母は自慢気に話していました。
ですが、この時点で、「おかしい」と感じて、正しい診察を受けていたら、
アンジの寿命はまだまだ長かった可能性がありました。
実際、この時点で飼い主さんが異変を感じ、病院に連れて行き、元気に暮らしているネコちゃんもいます。
私も、母からアンジのこの症状を聞いた時「おかしい」とは微塵たりとも感じず、
「へぇ〜アンジ凄いねー!」と言っていました。
さらには、今年の初めあたりから、「アンジ痩せたなー」「毛ヅヤが良くないな。。。」と感じていました。
全て年齢のせいだと思っていました。自分の無知さが情けないです。。。
↓アンジがよく使っていたベッドでいつもぐーすか寝るグーグー。

今回、アンジの病名を記事にした理由は、ただひとつ。
この症状を飼い主さんに見逃して欲しくないからです。
通常「ご飯を食べない」「元気がない」「嘔吐や下痢」等の症状で初めておかしいと感じる飼い主さんが多いと思います。
アンジはこれらの症状が出て6日後に亡くなりました。
この症状が出た時には、既に手遅れだったと思います。もう臓器が限界だったんだと思います。
でも、この病気は、6月に私たちが気付いてあげていたら、間に合ったと思うんです。
私たちが、この病気の存在を知っていたら、アンジは少なくとも、もう少し穏やかで長い余生を過ごせたと思うんです。
↓グーグーに負けじとアンジのベッドに横たわるごろちゃん。でもなぜかごろちゃんがこのベッドを使用したのはこの1回きり。

今はアンジの病名が分かって本当に良かったと思っています。
今後のグーグーとごろちゃんのためにも、アンジが私に調べさせたような気もします。
今回この記事を読んで下さった飼い主さん、知り合いにネコちゃんのいる方、
これからネコちゃんと一緒に暮らそうと思っている方、
こういう病気がある事を、どうか心の隅っこにでも憶えておいて頂ければ本当に幸いです。。。
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- 2012/11/17(土) 23:03:25|
- アンジ
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昨日はお昼1時からアンジのお葬式でした。実家から車で30分ほどの山腹にある葬儀場です。
私は母、父、アンジと葬儀場の最寄りの駅で待ち合わせをし、その後、近くに住む妹と姪っ子と合流。
アンジの住んだ町をアンジに見せたいと、途中、父があちこち説明しながら葬儀場へ向かいました。
車中、みんな明るい口調でアンジの話が出来ました。
多分、みんなアンジと一緒にドライブをしている感覚だったんだと思います。
母は昨晩、アンジを全身、拭いてあげたそうです。
葬儀場へ到着すると、ベッドに寝かせたアンジを父がそのまま抱きかかえ、屋内へ。
そして母と妹と私でアンジを支え、棺桶に入れました。
棺桶の中にはレースが施された真っ白でフカフカの布団があり、アンジも気持ち良さそうに見えました。
口元に大好きな缶詰とおやつ、そして亡くなる前日、父が探して取って来たネコ草を置き、
胸元に花束を添えました。
お焼香をし、棺桶の蓋にお別れの言葉を記載し、みんなでアンジを撫でながら言葉をかけると、
また涙が溢れ出ました。
もう今までのアンジの姿ではなくなるけど、骨になって私たちの所へ帰って来る!ここで消えてなくなるんじゃない!と
自分に言い聞かせ、無性に淋しくなりかけた気持ちを抑えました。母も同じ気持ちでした。
棺桶の蓋をし、みんなでアンジにお別れの言葉をかけました。
そしてアンジはゆっくりと火葬場へ行ってしまいました。


アンジが戻って来るまで1時間。父と妹と姪っ子は近所に散歩に出かけて行きました。
私は母とふたりになり、母は、ここ最近のアンジの話を感情をあらわにして話してくれました。
母があんなに感情的に泣くのは初めて見ました。
今年の春頃から、いつも夜中にアンジが大きな声で母に話しかけに来てたのは、何か異変を訴えていたのではないか?
と同時期に、今まで見た事ない量のご飯を食べるのに、全く太らない。
ここ1年の間で、私と妹が実家へ行く度に「アンジ痩せたなぁ」と言っていたのは歳のせいではなかったのかも知れない。
後から考えれば、見逃していたサインがあったのではないかととても悔やんでいました。
もしこれらのサインに母が気付いてあげられていたとしても、
何かしらの後悔は必ずあったんじゃないかなと私は母に言いました。
でも何よりも母が悔しそうに言ったのは、金曜日に病院でレントゲンを撮って腹水が溜まっていると判明したのに、
あの時すぐ抜いてあげられなかった事。
なぜ金曜日当日にそのまま検査をして、少しでも腹水を減らしてあげられなかったのか。
結局、検査をしないままアンジは亡くなったので、どこが悪かったのか分からず終いです。
腹水を抜く事全てが良い事とは限らないですし、先生にも何か考えがあったのかも知れない。
でも母は、あのどんどん大きくなっていくお腹さえなかったら、亡くなる前の数時間
もう少し楽だったのでは、と思う事が沢山あったそうです。
寝たいのにお腹が邪魔で横になれなかったり、楽な寝場所を求めて家中をヨタヨタ歩き回るのも
大きなお腹でしんどそうだったそうです。
腹水を抜いたからって、寿命は伸びなかったかも知れない。
先生には明日明後日の命だと分かってたのかも知れない。
でもせめてもう少し楽にしてあげたかった、もう可哀想で可哀想で。。。。と言葉を詰まらせながら話してくれました。
私もそんなアンジの姿を想像すると涙が止まりませんでした。
アンジもとても辛かっただろうけど、そんなアンジの姿を見てどうする事も出来なかった母は
さぞかし悔しくて辛かったと思います。
アンジが息を引き取ってから棺桶の中に入るまで、母はアンジを撫でながらずーっと
アンジ頑張った頑張った!よく頑張った!と、アンジに話しかけていました。
↓左:今年GWのアンジ。 右:亡くなるちょうど2ヶ月前のアンジ。


骨になって帰って来たアンジはとても綺麗でした。
可愛い牙と、小さな爪。長い尻尾。
この小さな骨で約14年間生きてきたんだなぁと愛おしく感じました。
私は、牙と爪と尻尾の骨をひとつずつカプセルに入れて持って帰りました。
骨は全て、粉になった骨も残らず骨壺に入れました。
「あぁ、アンジ、こんな姿になって。。。」と、母はしきりに言っていました。
これまで、母と父が、どれだけアンジの事を愛してきたか、この2日間でしみじみ感じました。
アンジは、私たちが思っていたほど長生きは出来ませんでしたが、とても幸せだったと思います。
それは、母と父がアンジと一緒に暮らせてとても幸せだったと、楽しかったと言っていたので
アンジもきっと同じ想いだと思います。
アンジはとても賢くて美人で可愛くておしゃべりで、何より最期まで手のかからないコでした。
今日から父は2,3日不在が以前から決まっており、妹夫婦も今日は身動きが取れない予定でした。
アンジに何かあったらどうやって病院まで連れて行くか(母は運転しません)を妹と母と私で先週話していました。
母は、アンジが検査に行く日の朝、もうアンジは病院までもたないかも知れないと感じたようです。
天寿を全うするなら、慣れ親しんだ家でさせてあげたい。看取ってあげたいと思ったそうです。
日曜日、アンジは病院へ出発する30分前に、ずーっと暮らしてきた家で母と父に見守られながら息を引き取り、
その日の晩、母、父、妹、姪っ子、義弟、私の主人と私が集まり、お通夜が出来ました。
そして昨日、家族みんなでお見送りする事が出来ました。
今はまだ最期のアンジの苦しさやひたむきさ、自分の無力さを考えると、悔しくて涙が止まりません。
でも先ほどふと感じた事があります。
私は軽く猫アレルギーを持っています。
ずーっと一緒にいると耐性が出来るのか、今やGGと一緒にいても、ほとんど症状は出ません。
一昨日、亡くなったアンジを撫でると、ひどいくしゃみと鼻水が出ました。
でもアンジが私のすぐ傍にいると思うと嬉しくて、ずーっとこのままくしゃみが出続けても良い!と思っていました。
帰宅しても、そのまま症状は治らず、次の日起きるとすっかり治まっていました。
そしてお葬式の時、アンジを撫でても、もうアレルギー症状は全く出ませんでした。
その時、アンジはもうここにはいないんだと感じました。
昨日までは、みんなと一緒にいたけど、もう旅立ったんだと感じました。
そして今頃もうとっくに苦しかった事も忘れて、お腹も小さくなって天国で走り回ってるんだ!
そう自然と感じました。
↓今年のお盆。私が最後に会った時のアンジ。みんなの側に来てこちらの会話に耳を傾けています。

アンジ、私たちに豊かな時間を与えてくれてありがとう!
心から尊敬する素晴らしいネコ、私にとってかけがえのない存在、アンジでした!
アンジに出会ったおかげで、動物に対する、それまで感じた事のない感情や新たな価値観が私に芽生えました。
謝らなくちゃいけない事がたくさんあるけど、いつの日か直接謝るからそれまでお許しを。
そして何よりお母さんとお父さんを楽しませてくれてありがとね!!またいつの日か会いましょう!!
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- 2012/10/02(火) 18:14:03|
- アンジ
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昨日日曜日、午前7時半ごろ、アンジが永眠しました。病院へ検査に行く30分前でした。
→
アンジ過去記事 その1→
アンジ過去記事 その2昨日朝、8時半ごろ、妹からの家の電話で起こされました。
「あ、お姉ちゃん?アンジ死んだって。。。」「え?うそ。。。。」
私と妹は、その前日の土曜日に会っており、検査後、アンジに会いに行く日や、今後緊急時にどうするか等、
いろいろ話をして決めたばかりでした。
「お母さんが、アンジに会いに来てあげてって。。。」「うん、行く。。。」

2009/06/20
枕元に置いてある、4,5歳頃のお茶目なポーズをしたアンジの写真を見つめながら、ベッドで泣きじゃくりました。
3時頃、母から電話で「火葬は予約しとくから。今、アンジはいつも寝転がっていたソファに寝かせてるから
会いに来てあげて」と言われ、電話を切ったと当時に、堰を切ったように涙と声が溢れ出し号泣しました。
アンジっぽく仕上げた花束と、私がアンジと出会った当初、いつも食べていた大好物のカニかま入り缶詰を買って、
主人と一緒に実家へ向いました。
実家へ着くと、今まで凄まじかった台風17号の暴風雨がウソのように止み、一気にピンク色の空に変わっていました。
ソファに横たわったアンジは、生きているようでした。
背中や肩、お尻付近はやせ細っていましたが、皮肉な事に、腹水がお腹を膨らませ、息をしているようでした。
お腹を触ると、張りがあり、毛はふわふわしていました。
大きな目は開いたままでした。
アンジは大きくて綺麗なグリーンの目をよく褒められていたので、そのままにしておきたかったと母が言っていました。
そのお陰で最後にアンジと話が出来た気がします。
撫でるといつも気持ち良さそうにしていた顎や鼻筋や後頭部を、妹と一緒に触りながら色々想い出話をしました。
母と父から、亡くなる数時間前のアンジの最後の踏ん張りを聞きました。
必死に生きようと、もうまともに歩けないのに、立ち上がって必死にいつもと変わらない生活をしようとしていた
話を聞き、アンジがそんな状態だったのに何も出来なかった自分の無力さが情けなくて悔しくて。。。
ごめんなさい、アンジ。ごめんね、アンジ。苦しかったでしょ。辛かったでしょ。しんどかったよね。本当にごめんなさい。
そして何よりも、元気な姿じゃなくても良いから、もう1度生きているうちに会いたかった!!
悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした。

2010/09/12
亡くなる前日の晩、ヨタヨタしながらも大好きなベランダへ自力で行き、床にお腹を付けて重たいお腹を冷やしていたそうです。
もう食事も全く受け付けず、お水も飲めない状態だったにも関わらず、大好きなネコ草を父が急いで探しに行き
アンジに見せると、大きな目を輝かせ、嬉しそうに近寄って来て、少しだけ食べ、すぐに吐いたそうです。
そして何より驚いたのは、大好きだった押し入れの上段にジャンプして登ったそうです。
これを見て、母と父は、もしかして回復するのかも?と、感じたと言っていました。
昨日の朝6時頃、父が散歩から帰って来る前に、ヨタヨタ歩いて玄関ドアの前まで行き、父の帰りを待っていたようです。
アンジはこれまで、父の帰宅時だけ必ずお迎えに行っていました。
その後、バスルーム付近で横たわっているアンジを母が発見しました。そこらじゅうに吐いた痕があったそうです。
バスルームのお水を舐めるのが好きだったアンジ。
これまでと変わらない、いつも通りの行動をしようとしたんだと思います。
ここ数日、食事は出来なかったのですが、お水だけは必死で飲もうとしていたようです。
なので母は、倒れたアンジを抱きかかえ、いつも飲んでいるお水の入ったお皿の前へ連れて行きました。
その時、アンジの体温はもう冷たかったと母は言っていました。
「アンジ、ほら、お水だよ」と手でお水をすくってアンジの口元へ持って行き、アンジも首を伸ばした瞬間に
手足が痙攣し、パタンとアンジの全身の力が抜けるのを感じたそうです。
父は心臓マッサージを何回もしたそうですが、もう戻っては来ませんでした。

いつも寝ていたベッドに横たわるアンジ。ただ寝ているだけに見えます。
アンジグッズの入った箱を母と妹と3人で見ると、アンジが初めて付けた懐かしいグリーンの首輪がありました。
アンジはグリーンがとても似合うので、妹がその首輪を付けてあげ、大好きだったキラキラボールを横に起きました。
アンジの立派な最期とその時の私の家族の気持ちを記録しておきたいので、
今日終わったアンジのお葬式もこの後記事にします。
お別れの言葉はその時にね、アンジ。
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- 2012/10/01(月) 22:30:48|
- アンジ
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先日紹介した実家の猫、アンジ。→
アンジの過去記事。今週水曜日の夜に母から携帯に連絡がありました。「アンジがご飯を食べないでずーっと寝ている」

2012/7/30
すぐ病院へ連れて行くよう促しましたが、なぜか母は聞く耳を持たない。
次の日、母と会い、アンジを病院へ連れていかないなら、私が連れて行くと強く言いました。
母は「アンジは強いミックスだから、すぐ良くなる」「今まで食べ過ぎたから、ちょっと休憩しているだけ」
「アンジは病院が嫌い」「毛玉が詰まってるだけ」
私は「そうかも知れないけど、それは全て素人判断だよ。飼い主が色々判断するのは先生に診てもらってからだよ。
とにかく今晩まだアンジがおかしかったら明日病院へ連れて行くべきだよ」と何度も何度も言いました。
街を歩きながら、そんな言い合いを延々としていました。

2012/7/30
本当は今すぐにでも私が病院へ連れて行きたかったけど、今となってはアンジにとっても母と父が一番の家族。
ずーっとアンジの側にいたのは私ではなく、母と父です。
それを無視して勝手に私が病院へ連れて行く事は出来ませんでした。
私は必死に母に訴えたのですが、母は少し笑いながら「大丈夫、大丈夫」と言います。
そんな母の呑気な態度に呆れ果て「アンジは生きるために暮らしているんだよ!生きたいんだよ!それが動物の本能なんだから!」
と大声を出してしまいました。
それまで母の顔を見ずに話をしていたのですが(横並びに歩きながら話をしていたので)
そこで初めて母の顔を直視しました。
「大丈夫だって!!アンジは大丈夫だって!!」と泣きそうになりながら真っ赤な顔で母は何度も言っていました。
明らかに私にではなく、自分に言い聞かせていました。
その母の表情を見て、私はもうアンジの話は止め、全く別の話をし始めました。
すると母はすぐその話に乗り、それから私と母はその日別れるまでアンジの話はしませんでした。

2012/5/4
母がアンジを病院へ連れて行きたがらない理由は分かっていました。
母が頑に、私の訴えに聞く耳を持とうとしなかったのも分かっています。
母が私に言った事は本心じゃないのも分かっています。
現実を突きつけられるのが怖かったのです。アンジがいなくなるのが怖いのです。気持ちは分かります。
でもそうなるのはまだ早い。先ずは先生に診てもらわないと。

2010/9/12 アンジを抱っこする母。
その日、母と別れる直前に祖母(母の母)から母の携帯へ着信がありました。
折返し母が祖母へ電話をし、私も少し祖母と話しました。
「アンジがご飯食べないって、昨日の○○ちゃん(私の母)からの電話で落ち込んでたから、
ちょっとカツを入れてやろうと思って今日電話したのよ〜」と祖母。
母は自分の母親にも相談していたのです。思った通り、私への母の態度は強がりでした。
祖母と私のこの会話は、母には黙ったままにしておきました。

2010/9/12
母と別れた後、夜遅くに母から連絡がありました。
「明日昼間はお父さんムリだから、夕方アンジを病院に連れて行くわ」と。

2010/3/21
病院に連れて行った日の夜、母にアンジの様子を聞きました。
腹水が溜まっているそうです。原因はまだ不明です。
明日(日曜日)、検査をし原因を究明するとの事。
もう4日間ご飯を食べてなく、今日はお水も吐いたそうです。
今日、アンジの画像を送ってもらったのですが、背骨がハッキリ見えるまで痩せていました。
とにかく明日の検査結果を待ちます。
私も母と同じ、結果を聞くのがとても怖いです。今夜は眠れそうにありません。
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- 2012/09/29(土) 23:58:57|
- アンジ
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実家のネコ。
アンジ。本名アンジェ。♀(避妊済み)のキジ猫。
推定年齢13歳。元気いっぱい

病気知らず

↓実家のアンジ。今年の7月。美人さんです!
13年前、私が一人暮らししている時に、
4年間程とてもとても仲良くさせてもらっていたネコです。
そもそも当時の友人が、大阪の怪しいお店で買ったらしいのですが、私とアンジが出会ったのは、彼女が生後半年位の時。
運動神経バツグン

で、全てが
THE ネコ
と言った感じのネコでした。
GGと比べると尚更そう思う。それまで私はネコをまともに触った事もなかったですし、ネコについて何の知識もありませんでした。
でも、アンジに出会ってからは、
ネコってなんて素晴らしいんだ
の毎日でした

あり得ないジャンプ力と、しなやかさ。
大人っぽくてカッコイイ時もあるのに、突然赤ちゃんみたいに甘えてくる。
そんな姉妹みたいに接して来るアンジに夢中

になりました。
そんなアンジを思い出すと胸がキュン

とします。アンジと遊ぶためによく友人宅へ行っていました

そして
彼女が3,4歳の頃、友人と私が旅行へ行く度に、私の実家にアンジを預かってもらっていました。
↓左:歳のせいか、少し痩せたアンジ(2011/4/30)右:母に話しかけるアンジ(2010/9/12)


ですが、
彼女が4歳くらいの頃、その友人はアンジを私の実家においたまま音信不通になってしまいました。
アンジはそのまま
10年弱実家に預けられたまま、今日に至ります。
今となっては、父と母とアンジは固い絆も生まれてますし、3人は今さら離ればなれの生活は考えられないと思います。
↓寒さのため、ずーっとベッドにいるアンジ(2008冬)

昨晩、PC内のアルバムをなんとなく見ていました。アンジの写真はここ4,5年しかありません。
GGの写真は仔猫の時から山ほどあります。
今さらですが、アンジには本当に申し訳ない事をしてきたと、昨晩しみじみ感じました。ごめんね、アンジ。
ネコと一緒に暮らしたい!と私が6年前に思った時、アンジを実家から引き取る事も出来たはず。
でも、あの時、アンジはもう、父と母の家族の一員になっていました。
結婚後、たまに実家に帰る事があるのですが、そんな時、アンジは私の事をどう思ってるのかな

子供の頃、私とよく遊んだ事を憶えてくれているかな

見捨てられたと思ってるんだろうな。。。
なぜか
この10年私はアンジと遊んだ事は1度もありません。
次回、実家へ行く時は、おもちゃを持って行こうと決めました

↓今年のお正月のアンジ。まだまだあどけないです!

GGと暮らすようになって尚更、アンジに謝らなくちゃいけない事がいっぱいあると気付きました。
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テーマ:猫のいる生活 - ジャンル:ペット
- 2012/09/04(火) 20:52:05|
- アンジ
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